やまもり

山森(故障派)と森山(特になし)の文集

お葬式の式

 


骨。どこの骨だろう、わからないけど、痣のように紫色がついていた。

「どうして色がついているのですか?」

火葬場の方は「お花の色がついて、こういう」と促した。わたしは他の骨に黄色がついているのを見て得心した。

 

 

 


祖父が亡くなって、長男の父が喪主をやるのは、そうなんだろうなと思っていた。葬儀屋さんとの打ち合わせで「位牌は喪主の方、遺影、骨壺、花束を持つ方を決めておいてください」と言われて、遺影を母が、骨壺は叔父が、花束はわたしが持つことになった。「骨壺は男じゃないと。重いから」。そう誰かが言ってた。

 

 

 

 

仕事中にメールが入って、祖父が危篤だと知った。わたしは定時に退勤してアパートに帰ってシャワーを浴びて服装を選んだ。車で三時間超かかるから病院につくのは十時ごろになるだろう。どうだろう、今度は亡くなるかなと思った。一週間ほど前にも「今夜は危ないかもしれない」と言っていたから、もしも今回ももちこたえたら死ぬ死ぬ詐欺だな。母が大変だから亡くなるなら早く亡くなってほしいと思っていた。着替えを用意して「今からこっち出ます」とメールを母に送って家を出た。

 

わたしが病室に着いたとき、祖父はもちこたえていた。わたしの父、母、妹、叔父がいた。横たわっている祖父は目を開いて、まばたきをしていなかった。喉と呼吸器が動いていて息をしているのが分かった。脈拍と血中酸素を表す機械からアラームが鳴っている。少し経って祖父は亡くなった。

 

お医者さんが来て脈や目を確認した。ドラマみたいだと思った。看護師さんが遺体を拭いてくれるとのこと。わたしたちは病室を出て休憩室へ行った。「置いてある荷物を片付けなくちゃね」と母が言った。父はお医者さんと葬儀屋への連絡について話していた。どうやら今から葬儀屋さんが来て、病院から家まで遺体を運んでくれるみたい。夜中なのに大変だなと思った。「布団はある?枕元にお花を用意しないと」と叔父が言った。


看護師さんに呼ばれて病室に戻ると祖父は浴衣姿になって、お化粧もされていた。「お化粧が落ちてしまったらこれで」と試供品のような化粧セットを渡された。

「ご家族でお体を拭きますか?」

看護師さんに促されてガーゼで祖父の手を拭いた。「綺麗になってよかった。男前になった」と父と叔父が話していた。わたしと母と妹で病室を片付けた。

 

 


男性が二人やってきた。葬儀屋さんみたい。
手を合わせたあと、遺体をストレッチャーに乗せて運んでいく。わたしたちは荷物を持って後に続いた。遺体は地下一階の小さな部屋に運ばれてそこでお線香をあげた。お医者さんや看護師さん、宿直の方が続いてお線香をあげて、わたしたちは「ありがとうございます」と頭を下げた。死亡診断書を持った人が霊柩車?(普通のワゴンだった)に同乗しなくちゃいけないとのこと。わたしたちは各々の車で来ていたので誰が乗るか相談した。父が同乗して、わたしが父の車で実家に行って、わたしの車はあとで妹と取りにくることにした。わたしは父の車を慎重に運転して実家へ向かった。

 

実家に帰ると祖父はすでに布団へ寝かされていて、枕元にはローテーブルがあり、香炉やお花が置かれていた。掛け布団の上に刀が置かれていた。居間で葬儀屋さんと両親が打ち合わせ。わたしはお茶を用意した。通夜、葬儀告別式のことを話し合っている。来るだいたいの人数、香典返し、通夜振る舞いの料理、精進落としの場所と料理、そういうのを父と母が決めていった。わたしはメモをとった。

「今日はもう遅いので新聞には明後日出ることになります」

明日の朝にお寺と火葬場に確認をとって日程が決まるという段取りになった。それまでにやっておかねばならないのは死亡届を書いておくこと。それと遺影の写真を選んでおくこと。生花供物のパンフレットと申込書や喪主挨拶の例文とか、そういう書類を置いて葬儀屋さんは帰った。わたしと妹は車を取りにもう一度病院へ向かった。叔父もそのタイミングで帰った。夜の一時過ぎだった。

 

 

 

朝の九時ごろ葬儀屋さんが来て、日程が決まった。玄関に忌中の看板が立った。朝、わたしが起きたときにはお供え物がしてあった。山盛りのごはんに箸がさしてある。いつやったんだろう。わたしは母と連絡する親族について話したり喪服を用意したりした。

「通夜番はお父さんと私とお姉ちゃんでいい?」

会場に布団が三組あるそうだ。「親戚がうちに泊まるだろうからXXは家にいた方がいい」。結局、父と叔父の二人で通夜番をすることになった。弔問の方に出すお菓子を買いに行ったり、親戚へ連絡をしたり、お客さんへお茶を出したりして一日が過ぎた。父と叔父はお寺に行って戒名をもらってきたそう。

 

 

通夜の日。夕方に葬儀屋さんが来て納棺を行う。
祖父に足袋をはかせたり脛あてをつけたり数珠を持たせたりを葬儀屋さんに教えてもらいながら親族で行った。六文銭(紙)の他にお小遣いを持たせる。「五円はやめて、一円や十円で」と言われた。「お札でもいいかな?」と誰かが言って、わははと笑った。

装束を終えて、お気に入りだった服などを棺に入れることにした。上着は足元へ、ズボンや靴は胸元へと逆に入れるそうだ。ベルトやバッグは金具を外して入れる(火葬の関係で)。本は分厚いのはNGだそう。写真は一人で写ってるものにしないと連れていかれちゃうよと誰かが言った。皮をむいてバナナを入れた。入れ終えたあと髪をくしで整えた。「他に入れるものがあればお花入れのときに」と葬儀屋さんが述べた。一同でゆっくりと棺に蓋をした。

「棺を出しますので男性三人の方、外にまわっていただけますか」

 

 

 

 

 

次の日に葬儀告別式、繰り上げ初七日を行った。初七日の焼香が済むと、棺が出されてお花入れを行った。紙パックのお酒も入れた。納棺と同じように、親族みんなで蓋を閉めた。父、母、叔父に続いてわたしは花束を持って出棺に続いた。

バスで火葬場に向かう。

 

火葬されている間、祭壇の水を取り替え続ける。三つ水の注がれたグラスがあって、一つは必ず残しておくこと。親族が代わる代わるにグラスをとり、近くの水場で水を捨てて、注ぎなおして祭壇に置く。そうして、眠っていたような祖父の体は骨になった。

 

 

 


ふう。たくさんの儀式、式を通った。よく知らないことばかりだった。少し疲れた。

 

骨になって炉から出てきたときにきゅんと寂しさを感じた。火葬場の方が「これが下顎です。こちらが耳のところ……」と説明してくれた(頭の骨が骨壷の中で上になるよう最後に入れる)。身体がなくなって、もう戻るところがないのだなと思った。

なんだろなあ。なんだろう。意識のこと。それは線から始まって身体に染み込んでいるものだけど、意識が世界から消えるってどんな感じなのかな。個人に分かるはずないのだけど、正確に言えば、分かるっていうのは集団のものだから、個人の「分かる」とか「気づき」だとかは馬鹿らしいのだけど、まあ、そんなことを思った。

生/死を分ける線は線の中でもラスボス級だ。生きてる人たちが死後の物語(仏教とかの)を描いてしまったのは傲慢かなと思うけれど、そういう知の奢りが線を成り立たせていて、そのおかげで死者が安らかでありますようにと傲慢にも一般に分かり、越境して、祈ることもできる。

 

 

さて、今日からお仕事。
眠い。