やまもり

山森(故障派)と森山(特になし)の文集

80-18-2

 

いきなりステーキ、徐々にひややっこ。じっくりビシソワーズ。お待たせしておりますイカそうめん。意外と、行列のできる法律相談所かな。

 


 

「生涯あなたを愛し続ける」
言葉だけならいいけど、本当にそれをやられたら暑苦しい。たまにでいい。たまにイラッとしたり嫌いになってもよくて、そのあとまた好きになれたら最高だ。80日が普通で、18日は好きで、2日は嫌いくらいが「愛し続ける」の良い割合。

「愛し続ける」を字義通りにまじめに読んじゃいかん。まじめに読むと言葉が嘘になる。たまに嫌いになったからって「愛し続けるって言ったのに嘘吐き!」なんて言わないよ。言葉は身体で読むもの。頭でまじめに読むのは論文の類だけにしなさい。

80-18-2の身体で読む文章と、頭でまじめに読む文章の間に境界線をひいて区別しよう。わたしたちは言葉の専門家ではなくて、どちらかといえば身体で読む専門家なのだから。

 

 その区分けをせず、わたしはごちゃ混ぜにしている。論文として読むべきもの、物語として、詩歌として、手紙として読むべきもの、それらを交わらせてる。

わたしは家では、論文に物語性を読んだり、物語を論文みたいにまじめに読んだりして楽しんでる。目に見える境界があるので、境界とは本のカバーとか、小説は小説、漫画は漫画というジャンル分けのことだけど、そういう境界は目に見えるのでわたしは安心してごちゃ混ぜにしている。

逆に、ネットの文章には見える境界がないので気をつけよう。頭でまじめに読むと「嘘つき!」と言いたくなったりするが、そういうときは「この文章は論文じゃないのにまじめに読んじまったよ」と反省してる。ネットはボーダーレスなので混ぜないように気をつけて、リアルはボーダーを気にせず読みを混ぜる。この作戦だね。

インターネットでは、ただの愚痴や雑談の文章へボーダーレスに、論説のごとき批判が降りかかったりしてる。パロールエクリチュールの差異について考えていた先人たちを思い出して「それらが混ざるとこんな風になるのか」なんて思ったり。


「愛し続けるって言った」

「そんなつもりじゃなかった」

「嘘つき」

 

混ぜちゃダメだけど混ざるとおもしろい。混ざると劇になる。「ああロミオ。あなたはどうしてロミオなの」みたいな二人を隔てる境界を越えようとする劇にとりあえず整う。

 

雑談と論説の間の壁を壊す。

 

「ああエクリ。私をまじめに読まないで」。「パロールよ。君にそのつもりがなくても書かれたのなら俺と同じだ」。「私はあなたのように強くない」。「それでも書かれたのなら同じなんだ。君だけを特別扱いするわけにはいかない」。「なんて頭の固いこと!まじめすぎるわ。それではあなたも息苦しいでしょう」。

「俺には君の寛容が、君には俺の高潔さが欠けている」


間違えた。パロールちゃんは寛容ってわけじゃないな。奔放で無責任、一度きりで反復しないライブ。瞬間、息継ぎ。大あくび。ごはん食べたら眠くなった。明日はお休みだから寝坊できるだけ寝坊しよう。