やまもり

山森(故障派)と森山(特になし)の文集

探偵ニック

 

ニックは廃棄場で目が覚めたそう。彼はあいつらに不用品として捨てられたのだ。それから紆余曲折あって人造人間ニックはシティで暮らしている。私には彼が人間よりも人間らしく見える。もしかしたら、見た目が人間そっくりではない古い人造人間だからこそ、人のフリをしているのがコミカルに見えて、それが私に「人間よりも人間らしい」と思わせているのかもしれない。モーター音を鳴らしながら黄色く光る眼をキョロキョロさせているニックの姿は可愛らしい。だから、マーナがあんなことを言ったとき、私は少し腹が立った。

 

「悪いけど人造人間にうちの商品は売れない」

 

「かまわないさマーナ。今日は俺の連れが君の品を楽しみたいそうだ」

 

シティでよろず屋を経営しているマーナは、噂によると住民のほとんどを、隣家のマルトゥーロさえも人造人間じゃないかと疑ってるみたい。彼女のメモには「マルトゥーロは優しすぎる。怪しい。彼は人造人間かもしれない」と書いてあるらしい。笑っちゃう。

 

「ニックはマーナのことどう思ってるの?」

私はヌードルをすすっている彼に聞いてみた。

 

「ん?ああ、絹のように優しい女性さ」

 

「彼女はあなたを邪険にしてたじゃない」

 

「昔ここで起きた人造人間の事件は君も知っているだろう」

 

ある日、一人の男性が街にやってきて酒場で大勢の住人を殺害した。セキュリティがそいつを撃ち殺したら皮膚の下は機械だった。それで最新型の人造人間のことが明るみになった。

 

「見分けがつかないんだ。俺と違って最新のやつはね。さっきまで笑っていた気のいい男が突然廻りの人間を顔色ひとつ変えず殺し始めた。誰かがそいつに「ウォッカはどうだい」と勧めたあとにね。きっとその人造人間はウォッカが嫌いだったのだろう。マーナはあの事件を覚えているのさ」


「誰だって事件のことは知っているわ」

 

「そうかもしれないが……。分けられず白黒つけられないのだから疑うのは正しい。そして正しくあるのは骨の折れる仕事だ。マーナに骨を折らせているのは、彼女を騙しているのは人造人間だ。彼女が人造人間を嫌うのは正義だ。正しくあろうとするマーナに俺は敬意を払っているよ」

 

ニックはシティで探偵事務所の看板をだしている。機械探偵ニックは街の人たちが自らの手では解決できないトラブルを請け負って生計を立てている。失踪人の捜索とか、危険を伴う探し物とか。トラブルなんか起きなければそれに越したことはないのだけど、ニックにとってはご飯のタネ。私はなんだかなあと思った。たとえば、ニックの手におえないニック自身のトラブルは誰が解決してくれるのだろう。

 


 

「俺は人造人間なんだよ。ほんの少しの赤血球をのぞく、あらゆる部分が造りものなんだ」

 

あらゆる部分が造りもの。機械探偵のニックはかっこいい。
くやしい!ストーリーがおもしろくてくやしい。いやあ、フォールアウト4の物語やキャラがわたしの概念回路をつんつん突く。まあ、あたりまえなんだけどさ。よく「物語やキャラの元ネタはこれこれ」なんて言われるけど、ずっと元ネタを遡って、元ネタの元ネタの……と行けば人と社会そのものだよ。元ネタが人じゃない造りもの(概念、フィクション)なんかないんじゃ。

「元ネタ知ってる?」は「人間知ってる?」に置き換えちゃえばいいのさ。そんで「知らないけど調査中」って応える。

 

マーナの調査は悲しい。わたしは幼稚園のころ夜に家族でテレビを見ていた。番組にイカやタコが出てきて「タコには骨がありません」とナレーションが流れた。
そのあと、おやすみなさいと一人で寝室にいき眠ったのだけど、わたしはのっそり起き上がって居間に行って晩酌してた両親に聞いた。「わたしに骨はあるの?」。
寝ぼけてたんだけどはっきり覚えてる。自分に骨があるかどうか不安になって聞いた。だって自分の骨を見たことないから、もしかしたらわたしはタコかもしれないって思ってさ。骨があるかどうか確認するには自分の腕を切って見てみるしかないけど、できないから、知ってそうな人に聞くしかなかったよ。

マーナも隣人たちを切って中身が機械かどうか見てみるしかないだろう。それができなくて疑い続けるはめになる。知りたいってのは残酷だ。「あなたは人造人間?」って聞いたって真実が返ってくるかどうかわからないんだから。

 

フィクションが「フィクションですよ」って自らを明らかにしてるのは限りなく優しい。破れた人工皮膚から金属や配線がのぞいていて、一目で「おまえは造りものだ」って分かるニックみたい。フィクションはそれ以上嘘のつきようがなく読者を騙しようがない。創りものの嘘はわたしを騙さない。フィクションはわたしを「騙す価値のない人」にしてくれる。

マーナみたいに「誰かが私を騙してるかも」って疑いつつ「私は誰かにとって騙さなければならない(騙す価値のある、騙しがいのある)人間だ。なぜなら……」って思うのはつらくて悲しい。そして悦楽でもある。

 

フィクションは嘘を隠さない嘘だから、正直だよね。
物語は自ら造りものであることを隠さないので、わたしは一番信用できると思うのだ。なんというか、よかったなとホッとする。オレオレ詐欺に騙されないように信じることを気をつけなきゃいけないからさ、フィクションはオアシスみたいなものよ。「ニックは偽物のニックでニックは自分をニックじゃないって知ってる」。文章にするとわけわかんないけど物語にはちゃんとそういうのが描かれてる。

はあああーため息でちゃうぜ。