やまもり

山森(故障派)と森山(特になし)の文集

中二病、いい主観

 

中二病を助長するような漫画とか映画とかに囲まれてそのまま素直にあこがれて中二病になったのに「中二病」と揶揄されてしまうのは可哀そうだなと思う。漫画や映画などの「中二病をつくる側」にまわるとき、つくる側の人たちは中二病的な感性を守って隠しながら生きてきた人たちで、その作品には揶揄する大人たちとの孤独な闘いが映されたりする。そしてまた作品に影響された中二病の人たちがつくる側になって抑圧する世間との闘いを描く……なんて繰り返されるサイクル。あるかもね。素直な感性(中二病)と同調圧力(世間)との反復する闘い。マッチポンプというか振り子というか。継承っておもしろいなと思う。クニとイエ(からの抑圧)は日本の文学に通底してきたテーマだってどこかで読んだことあるけど、ドラマだとかアニメにも継承されてる。そんなこといったら作家さんはだいたい中二病みたいなものか。哲学者とか思想家とか科学者だってそう。世間の抑圧がグツグツあるからバーン!といくのだろう。


平気な顔して狂ってね。わたしは狂人とか迫害された人とか理解されなかった人とか、そういう人の書いた文章が好き、というかそういう人たちの書いたものしかおもしろいと思わない。大げさかな。わからないものをおもしろいと思う。「わからないことすら、わからせないもの」まで行っちゃうと、もう肌感覚ね。さっぱりわけわかんないのに「あ、読まなくちゃ」ってなる感覚。いい直感、描かれたいい主観。そういうのを肌が探してる。


音楽の方がいいかな。わかるとかわかんないとかが音楽にはあまりない気がする。絵画や写真も。でも、それらにも読める人だけに読める文脈や手法が、伝わる人にだけ伝わる継承があるのかもしれない。そういうの、わからないことすらわからないままに聴いたり観たりできるっていい。いい直感、いい主観に手を貸してくれるもの好き。いい声ね。いい声で耳をいっぱいにしたい。