やまもり

山森(故障派)と森山(特になし)の文集

優しい人に聖者であってくれなんて求めたくないよね

 

北朝鮮関連のニュースを読んだあと灯りを消して布団にもぐった。もしもわたしが北朝鮮に生まれていたとしたらどんなストーリーを夢想したかななんて考えながら。自分たちを苦しめる奴らをやっつけてくれるヒーローを想像しただろうか。それか境界を越えて逃げていくとか。

 

そのあと読解力という文字をネットで見かけて記事を少し読んだ。従属力の間違いじゃないの? 分かりやすくて読みやすい文章に読解力を慰撫されている人たちに辟易しちゃった。いつまでもお客さん気分で分かりやすさに「おもてなし」されてればいいさ。

 

自らを伝わるに足る人物だと思い込む。

何かあれば誰かが伝えてくれる、さらに、「私には伝わるのだ」と信じられるのはお客さんの特権だ。あれだけ「伝えられないこともある」「何かを守るために嘘をつかなきゃいけない場合がある」「あなたの知らない壁の外側がある」とハリウッド映画や大河ドラマが繰り返し描いているのにのん気かなと思う。でも、お客さんはのん気でいいのだ。食べやすく調理された読みやすい文章を提供してもらえばいい。おもてなしする側とされる側を分ける境界線ははっきりしている。料理に毒が入ってないといいね。

 

お客様の特大権力。

レストランで店員に横暴にふるまったりさ。「おもてなし」の享受権を確信する彼らの傲慢は文章の場面にももちろんある。俺は読める。分かりやすい文章をだせ。読みやすい情報で私をもてなせ。そんなモンスター読者たち。そういうお客さんを相手にしなきゃいけない料理人たちがおもてなしにこっそり毒を混ぜていても、わたしは見て見ぬふりをして「いいぞもっとやれ」って思うよ。

 

むしろ、わたしをはっとさせてくれるのはおいしい料理に混ぜられている毒の方。だから、わたしが気をつけなくちゃいけないのは毒中毒。「私は毒のおいしさが分かる」なんてなっちゃったらあの境界に加担してるお客さんたちとなんも変わらない。んー別に変わらなくてもいっか。

 

おもてなしと言えば、id:lookwho さんはどうしてるんだろう。おもてなす側される側を分ける想像線に頼りきっている人たちのイヤな感じを、たぶん、lookwho さんは知っていると思うんだ。

 

あの関係につけこむ感じ。
「私たち友だちでしょ?」
みたいな脅迫さ。

 

サービス精神の塊みたいな聖者たちが、おもてなし世界線の理想人物像として押し付けられるのをわたしは見たりしてる。あーあ、その奉仕の心はお客さんたちをつけ上がらせてあの分かつ線を高く厚い壁にしてしまうのに。聖者の理想像は優しい人たちを反省させ続けてしまうのに。バカみたい。わたしは優しい人たちに聖者であってくれなんて求めたくない。

 

万一求められたりしても困るしね。

ん?そんなだっけ?
わかんなくなってボーっとした。