やまもり

山森(故障派)と森山(特になし)の文集

二人にしか分からない会話

 

大河ドラマおんな城主 直虎」で、直虎と政次の最後の会話は二人にしか分からないものだった。あの会話の場面にいた人物たちは二つに分かれる。「二人の会話が分かる人(直虎と政次)」と「(分からないことすら)分からない人」。ドラマの視聴者は直虎と政次にしか分からない会話が分かるはずだ。物語を俯瞰で見ているのだから。


わたしも視聴者だから分かるわけだが、大抵の場合、わたしは分からないことさえ分からない側にいるので、ドラマを見て困惑してしまった。


わたしは分からないことさえ分からない側にいる。

 

あの場面で、直虎と政次の会話は言語外言語で交わされた。二人は言語外言語でしか話せないところに追い込まれてしまっていた。ああ、嫌だ。わたしはやっぱり、なんでも言語化できると思い込んでいる人たちや、言語化に悪いことがないと思い込んでいる人たちが嫌いだ。「私は読める、分かる側にいる」という大いなる思い込みの中に閉じている人たちが嫌いだーちくしょー。


物語を読んでも、分からないことさえ分からない側にいないと信じられるなんて……。