やまもり

山森(故障派)と森山(特になし)の文集

頭の良さ

 

頭が良いというのは色んなかたちがある。
亀の甲羅に入ったひびで未来を占えるのが最高の知性だった時代もあるので、私たちが頭が良いと呼んでいるありさまも百年後どうなっているかはわからない。わたしは自転車をよく読んで走らせている身体を「頭がいいなあ」なんて思うので、この時点で会話には入れないかもしれない。


学生時代の友人のSちゃんには歳の離れた弟がいて、彼が母の日にお母さんへ手紙を送った。手紙には「これからもありがとう」と書かれていて、Sちゃんは「ずうずうしいよねウチの弟、普通は「いつもありがとう」でしょ」と嬉しそうにわたしに話してくれた。わたしはSちゃんも弟くんも頭がいいなと思った。


普通じゃなかった弟くんと嬉しそうにしていたSちゃんみたいな頭の良さ。

 

専門家に教わらず歩けるようになる赤ちゃんや、縄跳びという高度な情報処理をやってのける子供たちの身体。なぜか生まれたときから泳げる魚も頭が良いんじゃないか。この辺は頭が良いと呼ぶよりも身体が良いと呼んだ方がいいのかもしれないけど、その区分けにあまり意味がないと思う。スポーツ選手はトライアンドエラーを繰り返して自身に最適なフォームを身に付ける。それは確かに知性の作業なので、頭が良いと呼ぶにふさわしい。ボールを速く正確に投げる知性や守備の裏をかくフェイントの知性。

 

歩く脚が知っている歩き方がある。

 

坂も凸凹も階段も歩けてしまう脚は信じられないくらいに頭が良い。制御系に落し込もうとしたら優秀なエンジニアたちが途方に暮れるほど。頭の良さには「これからも」を掴みとってくる弟くんのような、未知や既知を知らない勇敢さ(坂も凸凹もモノともしない鈍感さ)がある。