やまもり

山森(故障派)と森山(特になし)の文集

父の名、大人のノー

「いえ、私なんてまだまだ大人とは言えません」

ノーノー。まだまだ大人じゃない。まだまだまだまだ大人に向かって精進ガンバどんどんまだまだ。どんだけ傲慢なんや。謙遜?いやいやよくばりだってば。 本気の謙遜はよくばりで、廻りの人たちを疲弊させる。あなた十分大人だよお。大人なあんたがもっといばってくれんと、こっちなんか、まだまだまだまだまだまだのまだまだだ。

大人のノン。まだノー、そこに僕はたどり着いていない。って自覚し続ける大人のノンのしくみ。謙遜と呼ばれるよくばりのせいで疲弊させられるわたしたち。

ノンのしくみ。大人の名はそういうしくみ。窒息のノー。空気が薄い。目指すその名には誰も辿り着きはしない。「僕は大人だ」なんて言ってしまったが最後、「その自尊が最もその名にふさわしくない」。

謙遜?私なんかまだまだだって?どこまでいくつもりなんだ?どこまでもどこまでも欲深く。まだなのかよどこまでいくんだその名は。

だから、そう、ヒソヒソと、流通だけが名を語る。うわさ話の中だけに「名」は存在する。あの人は大人だねえ、そうだねえ、謙遜していて偉いねえ、あの人は名のるのにふさわしいねえ。

自らがその名を名乗らないことを条件に、流通だけが名を語る。名は噂の中にしかありえない。まあ、そりゃあそうだ。あたりまえの話。そういう風なしくみなんだもん。

「大人とはなにか」、なんて話を横目に、あーあ、って思った。深い深い夜だ。シニフィアンの流通している印象の、くだらない夢。言語が見せる覚めない夢の中で気持ち良さげだ。