やまもり

山森(故障派)と森山(特になし)の文集

「カルテット」のアリスは鏡の中に閉じ込められていたよね、まるで、世界に自分しかいないみたいだった

 

「声を模したエクリチュールがあるのではなく、エクリチュールが声を屈服させ、声の方がすすんでそれに付き従う」


上記はわたしの好きな作家さんの文章の一部分っぽいものです。これからもちょくちょく出てきてもらおうと思うので、彼をJくんと呼ぶ。Jくんはおっちょこちょいでお人好しなわたしのライバル。以下はJくんの紡いだ流れに身を浸したわたしの勝手な解釈です。

 

文章には声の大きさや高さもなく、息づかいや、時おりのぞく歯や、そういうのがない。わたしは、文章のように話しているのが多い。おもちゃ屋の店員さんに商品のことを聞く時なんか、誰かが書いたできの悪い作文を読んでるみたいだった。Jくんはその辺のことを「咽喉が、もはや歌わなくなる」と書いていた。わたしは、咽喉がMSPゴシックになる、と言い換えてみる。


エクリチュールが声を屈服させる。

もう一度、ジャンプの前に書く。

 

わたしは、文章のように、MSPゴシックのように、四角くに、咽喉を動かしてしまう。かかれた文字はすぐに、敵/味方 の線をひく。おまえは仲間なのか。わたしのことを書いているのか否か。ゼロかイチか。読めているのか読めていないのか。正しいのか間違っているのか。うるさい!とわたしは思う。四角いよあんたたち(わたし)の声。社会みたいに四角い。

 

id:masa1751 さんとかはエクリチュールに歌を復活させてるなあ、なんて、わたしは ただの記録でしかない、に書かれた文章を聴いている。わたしはそれを虫の音と現した。音の大きさや高さ、拍動とか。そういうのをわたしは読んで身体に流してる。やまいしゆり町でわたしの頭に残っているのは、おばあちゃんがそれ以上進んだら危なくなるところとかだけど、わたしの身体に残っているものはわたしは知らーん。山形の初夏は、わかんない。けど、もしかしたら身体はそれを読んでいるのかも知れない。その辺はどこまでいってもわたしの頭ではわかんない。ただ読んでると気持ちいい。「うわー」ってなる。「うわー」は、わたしの頭が、言語化能力が白旗をあげたってこと。

masa1751さんは「独創的」とわたしの読み方を現してくれたけど、あえて咽喉を文章に屈服させると、「それって一人ぼっちってことじゃない?」。チャンチャン。ほら、エクリチュールってコントみたいに可笑しいよね。

 

わたし(たち)はハンコじゃないんだから、たい焼きみたいに型どおりにはいかないよ。わたしみたいなひねくれモノは「なんでブログの文章はたい焼きみたいなんだろう」って思ってしまう。文体がハンコみたいに毎度同じ型なのは、きっと売れやすくするためだろうって思ってる。「まいど!おおきに」。たい焼きの型には説得力があって、一つの形を繰り返し作れる。たとえば、わたしが自分のブログに哲学ブログの看板を掲げて、同じ型でたい焼きをつくり続けるみたいに、毎回難しい哲学や思想を書いたら、説得力が増すでしょう。今よりももっともっと流通しやすく、分かりやすくなって、読者は「ああ、この人は毎回こういうのを書く人なんだ」「俺はこの人を分かったぞ」ってなる。「こいつは哲学屋だ」。安心する。分かりやすく安心させてくれる。

わたしのエクリチュールがわたしを安心させてくれる。今日も昨日と同じ型の、いつもの四角い日。たい焼きみたいないつものスーツ、昨日と同じ職場の仲間たち。作文を読むみたいなハンコみたいなわたしの声。

 

id:lookwho さんが「読めていなかった」ってブックマークでコメントしてくれたのだけど、それにしても、「読めていなかった」は頭でっかちな文章に読めちゃう。読めているのだけど文章にできないのがほとんどなんじゃないかな。または、言語に嘘をつかれちゃうのがほとんどなんじゃないかな。次は「読めた」って書いてください。先回りして感謝で通せんぼしときます。「コメントありがとうございます」。

 


それと

 

「そろそろ電話、切るね」
「はーい、またねー」
「はーい」
「うん、またねー」
「はーい、それじゃあまたー」
「うん、また今度ね」
「うん、今度ね」
「はーい」
「はーい、じゃあねー」

 

電話がなかなか切れないのは「返応性」なんて間違って呼ばれてる言語の故障のせいなので、返事とかは書きたければ書けばいいし、わたしはわたし自身がおもしろいから書いている文章が「返事」と捉えられる可能性を慮っています。書きたければ書けばいいし、別のことが書いてあればそれを読んで喜びます。既に書いてあるログも勝手に読んで喜びます。


たくさん人がいる中で、たまたまちょっとすれ違った重みの、軽口。わたしの言及?(この言及っていう言葉が生理的にイライラする、ゲンキュー、怪鳥みたい)なんてそんなもの。わたしみたいな原初細胞にとって既存の言語は足りなすぎか多すぎで、単語や意味は嘘をつきすぎ。もっと正確に、精密機械みたいに書きたいって思うからわたしは部品集めの最中なんだと思う。その中にはポンコツだってあるわい。

たいやきみたいに完成した金型で書いてないもの。換言すれば、わたしは人間ができてない。

 

比べると、電話を切れない彼女たちの方がずっとずっと人間が型どおりに四角くできている。彼女らはある意味で独創的で、鏡の中の一人ぼっちだと思うよ。一人だから、返事を待っていて、電話が切れないんじゃない?

 

 

「私が誘ったなら、あなたは鏡みたいに返事する。当然でしょ」

「カルテット」のアリスは鏡の中に閉じ込められていたよね、まるで、世界に自分しかいないみたいだった。鏡を見てるアリスちゃん可愛かったな。サンドイッチマンの人が誘いを断ったの、少し痛快で、少し可哀そうだった。