やまもり

山森(故障派)と森山(特になし)の文集

もったいない精神 a.k.a. 合理性

 

「サピエンス全史」を読み始めた。

二日前にアマゾンから届いた。包装を剥がすと上下巻が現われて、帯には「常識を覆す!」「ビジネス書グランプリ一位」「NHKクローズアップ現在で特集された」なんて書いてあった。このクローズアップ現在ってクロースアップ現在じゃないの?クローズじゃ閉鎖しちゃうじゃんといつも思う。番組名(固有名詞)だからいいのか。カバーを剥がすと結構いい感じのA5サイズくらいで、黒いので少し小さく見えて、厚みもそんなになくてよかった。ベッドで読むから、大きくて重いと読みにくい。


でも、テレビ番組でとりあげるってことは、読める本なんだよね。そこをちょっと警戒しないといかん。頭の中の「読める」「分かる」「通じる」にわたしを留まらせる読める本はわたしの性格を化膿させる。「わたしも分かる」を慰めてくれる読める本は、理解ポルノで、理解にわたしを閉じ込める面を表題曲とすると、「理解できない奴はオタンコナス」がカップリング曲。

せっかく買ったんだからカップリング曲も聴こう。この貧乏性が合理性というもの。合理性は理に合わないものの排除までを射程に捉える。この本の感想を書こうかなと思うけど、わたしは予言する。理解を書けば書くほど、わたしは調子にのって、性格が悪くなる。

クローズじゃなくてクロースアップ現在じゃないと意味おかしいぞ! そんな風に間違いを分けるのが分かるだから。あ、現在じゃなくて現代だった。

 

眠る前の時間を使って一章まで読み進めた。
今のところは、予想通り、七十年くらい前に他の人たちが掘ってた知性の通過点が示されていた。ようするに「そんなのとっくの昔に他の人が指摘してるよ」「そして、もっと深くまで掘り下げられているのにさ」って感じ。ほら、わたしの膿がでてきた。

いつも通りに知識という名の区分け線が二重になぞられて深くなり、「わたしはそんなの既に知っている」と、他人が描いた概念を自分の手柄みたいにしていい気分になった。いい気分になるぞと予言していた通りだったので、ますますわたしの理解線はお城の堀みたいに誰も寄せ付けない防衛線になる。

頭がいいって欲深いよね。なにしろ、自らの無知さえ知ろうとするのだから。無知を知るってのは、知ってる/知らない で分けられた線の両側を知るってことじゃない?これが全知ってやつ?

そんな風に言語の故障を弄んでると情けなくなってくる。本は、良い本だよ今のところ。まだ途中だから分からないけど。

 

わたしは気をつけるよ。

かるとか知るとか伝わるとかで満たされちゃうと、その満足の欠乏をもったいない精神で埋めようとして知らない奴を探し出す。

「まだ知らないの?」

せっかくだから、知識を使ってもっといい気分になろうってこと。もったいないから。いい気分になるのに使えるんだから、使わなくちゃもったいない。

欲深さがせこい。貧乏性の頭の良さ。
もっとずっと欲深くあれわたしよ。

全知なんてせこいところで満足していないで。分かってほしい知ってほしい伝わってほしいなんて踊り場にいないで、そういう階段の途中で全知を慰める人たちなんて放っておいて、別のことも望みたい。もっと欲深くなりたい。もっと気高く飢えたい。

 

わたしも貧乏性だから、今のわたしが持っている知識を見せびらかして褒めてもらいたい。あるいは、わたしは知ってるぞって脅して誰かを屈服させたい。そういうのって簡単にできて、簡単なわりに得るものもありそうに見えるから、それに、なんといってもみんなやってることだから、やりたくなる。


コストパフォーマンス最高だもん。「これ知ってる?知らないでしょ。えへん」ってやる商売。ちなみにもっとコスパ最高なのは「わたしの気持ち分からないでしょう?」ってやるやつね。

「私がなんで怒ってるか分からないでしょ?」

女の子はみんな経済学者なんだ(計算高いってことさ)。


こういうの、せこい?それとも合理的?

 

呼び名なんてどっちだっていいか。
a.k.a. って also known as の略なんだってさ。
クローズじゃないよクロースアップだよ。知ってた?