やまもり

山森(故障派)と森山(特になし)の文集

隠喩

言語自体が隠喩なのだけど、よく流通することで隠喩である事実が消えていく。流通することで消えていく隠喩の意味と、流通しても消えていかない隠喩の意味がありどちらかをわたしたちは選ばされている。といっても、流通しているので言語は隠喩ではないと思っている人がほとんどだから、その意味で通っているのだけど。伝われば隠喩ではないということ。まあ、よくわからない理屈だけど。

流通だから、言葉は

プールに浮かんでいるナマコみたいにあみで掬われるのを待っていたり、あるいは、流通しつづける、つまり、しゃべりつづけたりする。表現、または表明をヒマな時間つぶしに使うことで言語のように清潔になっていくと同時に、清潔のせいで不潔さが際立ってしまう。ヒマな時間を別のことに使うと沈黙が表現される。

小池都知事みたいにまだ流通してない横文字を使うと、行進のなかで先に行っているようにみえる。たぶん、文章の修飾比喩も同じようで少し先に行ってみえたりする。使い古されていない表現、表明。新しい表現。表現という隠喩を描写と区分けして書いてみている。