やまもり

山森(故障派)と森山(特になし)の文集

はてなブックマーク千個分くらいの長い文章を送りつけてやる!

 

「社会的な死」は重いなあ。わたしはそれを「社会的な閉じ込め」と呼んで書き始める。

 

バスの運転手が突然立ち上がって「俺はサッカー選手だ」と叫んだら事故が起きる。それは発狂と呼ばれていいと思うけど、作家はそんな発狂を飼うはめになる。わたしはそう仮定している。

ボーダーレス。

主人公も悪役も脇役もバスの運転手もサッカー選手もわたしだとなれば社会はそれを許さない。わたしもまだわたしをそう許してはいない。事故になるから。もしも明日のわたしがゲスい悪役になったら、「おまえらバカじゃないの? 生きてる価値ないよこのハゲ!」とやったら、社会は誰も読んでくれない。でも、「あれもわたしであり」とやれないとあれを生んだ世界を描けないと思う。


いやあそんなことはないさ、柔和な気質に自分を閉じ込めたまま世界が描けるぜという人たちもいるかもしれないけど。わたしはボーダーを超える方を選びたい。選びたいと書くことと選ぶのを望むことは全く別だから、望めるかどうかをわたしは知らないので、ようは口だけ達者で偉そうなわたしの可能性も高い。

読者と作者の境界を超えるには「わたしは分析される側だ」とならないといけない。「いけない」と書くのはダメだなあ。それを自然に欲望できないので探すように書くはめになっているよわたしはね。もしかしたら、ここまで書いても伝わらないかもしれない。明かしても伝わらないのであれば、ますます書くべきで、それはわたしにとって都合が良くて都合が悪い。ますます書くべきなのは良い方で楽しくて、伝わらないのは悪い方でちょっとだけつらいかな。


むしろ、社会的に死んでいるのはわたしでないと困る。

「俺はサッカー選手だ」と叫ぶバスの運転手の方をわたしは目指しているから。それは社会では認められない反則であって、非社会的行為者としてわたしたちは社会の境界から追放されなきゃいけない。逆に言えば、非社会的にもわたしは生きていきたい。わたしはid:masa1751さんの書く文章の方にこそ非社会的な生命力を感じるし社会的な閉じ込め(重く書けば社会的死)からの脱出力を嗅ぎ取っている。


わたしの単純な脳は、大人気ブロガーみたいなのを「社会的に生きている」と見做していてわたしはそうじゃないし閉じ込められたくないから、わたしも社会的に死んでると思いたい。


大人気ブロガーは人として分かられやすい(分かりやすいということは境界を越えないということ)。人物は分かられやすいキャラクターでいいのだけど、物語は読者に分かりやすくにじり寄ったりしないし読者を助けもしない。わたしはキャラクターになりたいんじゃなくて、そのキャラクターを生む世界を描きたいんじゃ!


読者は勝手に読んで勝手に助かったり躓いたり勝手に分析してればいいのさ。

 

そりゃあ社会的にも生きてるよ。

いい子ぶってるんじゃなくてわたしは社会的にもいい人なのです。正しくいい人だと思われたいのと同時に、非社会的にも生きたいという欲張りを発揮したいのだ。非社会的にというのは、バスの運転手が「俺はすし職人だ」「今まで俺はおまえらの期待通りにバスの運転手だったが」「その期待に応える俺を、俺は捨ててやる」「残念だったな。このバスは次の停留所には行かないぜ」「寿司屋に行くんだ」となるということ。


そんな行為は社会が許さない。お客さんたちが、読者が許さない。

いいや間違った、読者は許すね。だって面白いじゃんそのストーリー。バスが寿司屋に向かうってワクワクする。だからさ、ブログを読んでる人たちって読者じゃないんだよ。人を読んでいるお客さんなんだ。彼らは文章なんか読んではないないよたぶん。人を読んでる? 読んでるとも言いたくないや。当然次の停留所へ向かうと信じているお客さんなんだ。


思い切り悪く書けば、バスの運転手という役割を押し付けて寿司屋に行かせないお客さんなんだよ。寿司屋に行ったら困るお客さんで、お客さんたちは狂っていない自分たちと同じように運転手も狂っていないと求めながら読んでいる。そういうのはそういうのでとても良い優しい世界なんだけど、わたしは作家さんに寿司屋に連れてって欲しいと思う。


わたしは作者に「どこでも行先は任せるよ」と思う読者なので、悪役として言わせてもらえば「わたしが読むということは、それだけではてなブックマーク一万個以上の価値がある!」。わたしは作者が人でなしだって全く構わないと思ってるちゃんとした読者だからさ。お客さんたちは著者が人でなしなのを許さないでしょ。見てりゃあわかるじゃん。読者じゃないお客さんなんて放っておけばいいよと悪者のわたしは囁く。わたしをちゃんと職場まで届けてくれる優しいバスの運転手さんにも感謝しつつね。

 

masa1751さんブックマークありがとう。
「社会的に死んでいる」について書いてみました。