やまもり

山森(故障派)と森山(特になし)の文集

正規会話_01

わめいている若い狂人がいた。
「誰か私を見つけてください。ここにいる私を見つけて」

無権利で曖昧に懇願しているその女は、みなりが悪かった。道行く人たちはみすぼらしい女へ目もくれず歩き去って各々の行先へ向かっている。そのうちあいつは連行され軽くしぼられるだろう。権利なし、あるいは対価なしに依頼を行うのは偽証か詐欺の準罪のはずだ。俺は足早に歩を進め女とすれ違い、引き合わせ場所へ向かう。今から何を話そうか悩むと気分が晴れていく。なにしろ奮発しているし、精度を高めたから、先方も俺の到着を心待ちにしているはず。指定のレストランに着き端末を確認すると彼女は既に来ているようだ。俺と同じメンテナンス従事者で育成経歴もほぼ同等の二十九歳女性、異性と自由会話をするのはふた月ぶり。俺は時間を確認して彼女に声をかけた。

「こんにちは綿貫さん。開始時刻まで数分ありますね。座ってもいいですか?」

「はい。どうぞお座りになって、時間を待ちましょう」

彼女は立ち上がって応えてから座りなおしてくれた。先方の声は知らなかったから不快な声質なら破棄しようと思っていたが杞憂だった。「俺の声はどうですか? 不都合はありますか?」「いえいえ、大丈夫ですよ」。彼女の身なりは通知されていた通りの黒いミドルタイトスカートと水色のシャツで、アクセサリー類を付けてないのはこちらの要望だった。肩にかかるくらいの栗毛で前髪はポンパドールに留められている。ひたいを出しているから明るそうな人だと思った。テーブルの彼女側に紅茶ポットとティーカ ップが置かれているので、こちらも何か注文しようかと考えていたら俺と先方のアラームが同時に鳴った。

「あー今日はやりましょう。グレーまでOKだからどんどんいきましょうよ。滝さん」
「そうだね。ところで声は生ですか?」
「生ですよ、なま。声が大丈夫でよかった。変えるのも変えさせるのも嫌ですよね」

よかったと俺たちは頷いた。
やっぱり声は生じゃなくちゃ味気ない。

「考えずに話すのいつぶりかな。会話基準ってけっこう改正されるじゃない? あれ覚えるの面倒で」
彼女が言ったのは会話表現技術基準、「会話基準」の略称で呼ばれる省令だ。

「省令をまめにチェックしてる奴いるかな。保安部の「会話表現技術基準とその解釈」の方しか俺は見てないや」

「あはは、今はグレーだからあれでもこれでもどっちでもいいんですよ。食べながら話しましょ」

俺と彼女はグレースピークまで同意してるのでこんな風に羽が伸ばせる。ホワイトで気を使うのが、あれ、それ、などの指示語で、適正条件を満たさずに公社で使ったらすぐに改善請求をくらってしまう。具体的で正確な表現への配慮を是とするいつもの癖で、「会話基準」か「会話基準とその解釈」か、どちらのことか気にしてしまった。

「そうだね。食べながらにしよう」
せっかく会話配慮の緩和にお互い同意してるのだから、考えずに話してしまっていい。
悩む前に口を動かしてしまえ。そうせねばもったいない。

「ヤマガタマサキの作品、好きなんですよね。あれ読みました?」
「最近発行されたやつなら「昨日的な駅」かな」
「それ!」

注文を済ませた彼女は破顔している。
俺たちは正規の引き合いだから趣味嗜好は合致してるし教養や語彙格差もなく打てば響くように会話できる。これが非正規だったら、「ヤマダマサキは誰ですか?」と問われれば説明義務を負うし、彼がマイナーなせいで下手すりゃ認識差不正使用で是正勧告までいくかもしれない。マイナーな作家の名を聞きマイナーな作品名を挙げただけで、俺たちはにやけてしまった。