やまもり

山森(故障派)と森山(特になし)の文集

正常と思わなきゃやってられないよ

朝のニュースを見ていたら、かの女優さんが「メッセージが聞こえた」とかいって紹介されていた。チャゲアスの人もそうだが、不謹慎ながらSFみたいだと思った。正常を守りたい人たちは、正常と異常の間に線をひいて区分けして彼らを一方に追いやって守りぬくだろう。私だけに聞こえるメッセージがニュースになるには、それが恐いものである必要がある。「秘密の組織に狙われている」とか「隠された真実を知ってしまった」とかそういう感じ。笑える一発ギャグが私の耳だけに囁かれた、だとニュースにならないし、そういう「メッセージを受け取った」はない。また、パウロだかヨハネだかが受け取った神からのメッセージは聖書に記載されているけど(黙示録とか)、そっちは異常と呼ばれない。ご都合主義だなと思う。正常と異常を分かつ線もそうだけど、恐怖が聴こえる耳もそう。自分たちの都合を守っている。わたしにもわたしの都合があって、それを守ってる。自分を正常だと思って他の人たちを異常だと思ったりする。だって自分の人生しか生きたことないんだもの、そりゃあ自分が普通で基準で正常だと思わなきゃやってられないよ。


「伝わってる? わたし異常じゃないよね?」

「ああ、伝わってるよ。君は異常じゃない」

「本当に? でも、もしもあなたが狂っていたらわたしは異常者だわ。あなた人間なの?わたしの妄想じゃなくてロボットでなくてエイリアンでもないって証明してみせてよ」

「おい、しっかりするんだ」

「しっかりですって? わたしはしっかりしているわ。あなたよりずっとしっかりしてる。わたしは考えているもの。あなたよりずっと考えているわ」


考えること=疑うこと、あるいは、考えること=悩むことの式が固く守られる現実はSFに負けず劣らず奇妙なので、わたしは奇妙な正常に陥ってしまう。