やまもり

山森(故障派)と森山(特になし)の文集

混線回路

弟(我が家の犬)のことを書いたとき、たまゆらのなかのとわ のae7chuさんがブックマークコメントを下さって、うれしかった。そのことについて書いていく。今朝、わたしはae7chuさんのコメントを「ワンコロたちはみんな正直だね」だったと勘違いしていて、読み返したら「ワンコロたちはみんなお利口だね」だったので「あれ?」と思った。わたしは勝手に改変していた。

先日、母が犬を車に乗せてシャンプーへ連れて行こうとした際に、彼は後部座席でうんちをしてしまった。車に乗せるとしばしばそういうことがある。普段はきちんと我慢できるのに。なんでだろうねと母と話しているとき、「普段と環境が変わって緊張しちゃうんじゃないかな」とわたしは述べて「もう少し頭がいいとすれば、嫌がらせかなあ。シャンプーに行きたくないってことかな」と続けた。そんな嫌がらせじゃないよねと話を終えたのだけど。もう少し彼の頭がいいとすれば、母の嫌がることを分かりそれを実行するというのは嫌だなと後から思った。

それをずる賢いと言い換えてもいいけど、母の嫌がることを彼が分かるの「分かる」を「頭がいい」にしてしまうのは、「頭がいい」が可哀そうだからわたしはそれを組み替える。頭がいいという概念はそんな分かるじゃない。そんなのと一緒にされたら頭が良くなりたいと思っていたわたしが可哀そうになってしまう。

ae7chuさんがコメントくださったように、弟(犬)は利口で気高い。彼はわたしが憧れるくらい正直に行為する。ボールを追いかけはじめるとわたしが呼んでも振り向いてさえくれない。躾けを間違ってしまったので彼は媚びない。もう少しわたしに甘えてくれたらうれしいのだけど。

昨夜寝る前に本を読んでいたら、「詩人の熱情は世の中の最も血なまぐさい事柄に匹敵する」みたいなことが書いてあって、わたしは たまゆらのなかのとわ さんの描く文章や絵のことを思った。その本の著者も弟のように気高い。さすがにかわいいと思ったことはないけど。そして、わたしの回路は混線していた。利口で気高くかわいくて正直な弟と、たまゆらのなかのとわ さんと、詩人の熱情がごちゃっとひとかたまりになっている。それらの線を解いて分けてしまえばスッキリするが、こんがらがったまま書かないと正確じゃない。タイトルは混線回路とした。