やまもり

山森(故障派)と森山(特になし)の文集

田舎娘だけが自分を気にする

都会の人たちが洗練されているのは、たくさんの人で混雑した交差点で「誰も私のことなど気にしてはいないさ」が身体に刻まれているから。田舎から都会に出てきたわたしの惨めさは、誰もわたしのことなんか気にしていないのに服が変じゃないかとか駅で迷ったりして恥ずかしいと思っていたところ。田舎娘だけが自分を気にする。電車からの景色が田畑からビル群に移ってくにつれてワクワクするのと自動改札にオドオドしてしまう田舎娘の羞恥心は、表と裏の関係でどうしようもなかった。

東京の大学で過ごして、季節の変わり目に行われる洋服のセールやレストランのメニューやドリンクの新しい種類がわたしたち女学生を楽しませてくれて、こっちも大いに楽しんだ。都会は力強く頼もしかった。忙しかったとも言える。恥ずかしがってなんていられないくらいに忙しかった。

卒業してベッドタウンに引っ越した。眠りの生産工場のような住宅街と大きなショッピングモールがある街に暮らしていると、ときどきふわふわした郷愁がおそってくる。田舎に帰りたいのか都会に戻りたいのかわからない船酔いみたいな気持ちをスナック菓子を食べておさめている。この次が結婚なのかもしれん。家庭をつくったらそこが帰る場所になるのかな。家庭をやるのにベッドタウンは適正につくられていて、その正しさがまだ家庭のないわたしを異人扱いしてる。田舎娘はいつまでも自分を特別扱いしたままで恥ずかしい。