やまもり

山森(故障派)と森山(特になし)の文集

「地獄でなぜ悪い」が流れてくる(字数制限なしのブックマーク)

軽快なメロディーに少し悲しい詞がのっている歌が好きなのだけど、ずっとそればかりを聴いてるのではなくて、アルバムの中に一曲くらいポンと置かれているのがいい。「地獄でなぜ悪い」は星野源さんのアルバムに入っている曲で、learn to forget さんを読んでいる時にわたしの頭の中でよくかかる。

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そしてわたしはこれを書く。これというのは、他の人のブログを読むわたしの日常風景。「地獄でなぜ悪い」がかかるのは星の源さん、書いてて気づいたけど星のミナモトってすごい名前だな。彼の曲と、learn to forget さんの何かがかけるのであってわたしがかけているのではなく。なぜかかるのかを書こうとすれば書けると思うのだけど、ほとんどが星野源さんの曲とlearn to forget さんのせいで流れてくる。それはわたしが気づくことなしに知っているわたしの音楽再生回路なので短くまとめにくい。短くまとめようとすると再生スイッチになる。再生スイッチが押されて曲がかかるのは軽快なメロディーと少し悲しい詞と文章が似ているのと(そしてそれを好むわたし)、確か好きなものの中にこの曲をあげてらしたのがわたしの中で重なってONする。こう書くとわたしのスイッチ型の知が、「重なって曲がかかると知っている」が中間管理職のおじさんのみじめさみたいになってくる。ONとOFFの間に挟まれて、「なんでONしたんだ」と「なんでOFFしたんだ」の間に挟まれて、みじめなものになる。わたしは「知ること」をみじめなものにはしたくないので、曲が流れるのを気づきなしに知っている方の知を書きたい。小さいころによく跳んだ大縄跳びの跳び方をわたしが知っているのと同じ仕方で、その曲が流れるのを知っている。一言では「身体的なものだ」となる。learn to forget さんの文章を読んでいると知らないうちに「地獄でなぜ悪い」が流れてくるのだけど、流れてくるのにわたしが知らないわけがない。縄跳びを跳んでいる子が縄跳びの跳び方を知っているのと同じで、それは楽しい知(獄)だ。