やまもり

山森(故障派)と森山(特になし)の文集

見えるもの / 見えないもの


タイトルを書いたら「うんざりする線だー」ともう思ってしまった。見えるものと見えないものを分ける線。口の中の眼は食べるように見ている。ウチの犬を見ていると、食べられるものと食べられないものをどうやって分けているのかがわからなくなる。匂いかなあ。匂いだとしても、なんで分けているんだろう。みんな一度は食べてみなくちゃわからないはずなのに、なんでその線は自明なんだろう。口の中の眼は食べられるものと食べられないものを切り裂く光線を発射してる。その切れ味の味を口は味わったことがない。ここまで書いて、タイトルは「見えるものと見えないものを分ける切れ味」にしたいなと思った。

「正しい日本語を使え」だなんて、いつまで教師と生徒気分なんだ。つまり、学校気分なんだ。大人は質問なんかに答えないと言っていたのは誰だっけ。「疑問文に疑問文で答えるとテスト零点なの知ってたか?間抜け」と言ったのはジョジョマウンテン・ティムだった。

問いには「(正直に)応えろ」という脅迫が裏側の力としてある。問いに応えさせる力は権力者が、教師が、あるいはお金をはらっている生徒が、所有している。ようするに、ティムは質問をする権力は自分が持っていると言っているのだ。


「正しい日本語を使わない理由を述べよ」だって? いやだね。議論? いやだね。おまえはわたしに応えさせるのに足る力なんて持ってはいないさ。「正しい日本語でないと伝わらないぞ」。ああ、そう。故障してる装置になんて付き合ってられないよ。通じないだって? 上等さ、通じなければ通じないほどよいよ。切れ味のよくないなまくらに切られるなんてまっぴらごめん。

 

ティムは保安官だから銃を突きつけて「俺の質問に答えろ、質問するのはこの俺だ」と言っていた。テストには教室の中の生徒に答えさせる力がある。悲しいのは、このあとティムは敵にやられてしまうこと。教室言語でいくら上位をきどってみても、実際に彼は保安官だから社会の力を持ってはいるけれど、教室の力とは別で同じ力、境界を超える暴力に屈してしまう。群れの上位者である群れに依存したティムと、群れの庇護から外れた孤独なテロリストの闘い。

いつも、いつまでもそういうことが物語には書かれてる。

わたしたちは疑問文の裏に書いてある力の言葉を読んでいる。試験用紙の影からは生徒へ力が突きつけられて「答えろ」と要求している。今どきの単語を使うと「マウンティング」。

問いのマウンティング。

マウンティングという言葉は「そのマウンティングは不当だ」という意味で、正当なマウンティングには使われないみたい。「正当なマウンティング」は見えないものかもしれない。正しい日本語の切れ味はマウンテン・ティムのマウンティングを切れていない。ここまで書いたらタイトルは「マウンテン・ティムのマウンティング」にしたいなと思った。