やまもり

山森(故障派)と森山(特になし)の文集

「伝わらないように書かれた書」や「読めないように話された話」

 

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 つづき

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「この際、みんな吐き出してしまえばいいよ。聞くだけ聞いてあげる」

いやあ、もう言語中毒者に効く薬なんてないよ。
いくらでも言語を飲んで症状を亢進すればいい。とにかく誰かと会話して、知らなかったことを知って、「自分は知ることができるんだ」と自惚れていればいいさ。結局、その「知る」なんて、伝わるように書かれたり話されたりする言語を読めるってだけだから。全く逆のものが存在するんだ。「伝わらないように書かれた書」や「読めないように話された話」がある。僕は自惚れて僕たちと言うけど、僕たちは読めると信じている自惚れ屋たちに手を貸してはやらない。
周りの大人が子供に対して、伝わるような簡単な言葉をかけてあげるのは、子供だからだよ。子供たちには分からない言葉で大人たちは喋るが、大人たちには分からない言葉で、大人の大人は喋っている。秘密は、秘密を守れる大人たちにしか届けられない。そして、大人の大人たちはそれを秘密だなんて思ってもいないが、それはお喋りたちに伝わるようになんて書かれも話されもしない。子供たちに大人の話は伝わらないし、それは子供たちに関係のない、子供の言語の外の話なんだ。いつまでも周りが読みやすい赤ちゃん言葉で話してくれると信じているとしたら、大間違い。
僕らに言わせれば、お喋りたちの言語は、自惚れたちに話される赤ちゃん言葉なのさ。伝えたり伝わったりすることと知ることは何の関係もないのだから。

 

はあ。
放っておけばいいのに。
どっちが子供なんだかわからないよ。
そんなんじゃあ、遊びの輪に入れなくて拗ねている子供みたい。
わたしだって、ずっとあなたのよくわからない話に付き合ってなんかいないよ。
楽しい話か、ドキドキする話しか聞きたくないもの。わたしに関係ないことに、関係ないと思っていることにかかずらっていられないよ。忙しいのだから。もしも、それがわたしにも関係するのだったら、楽しくするかドキドキさせるかしかないんじゃないの。


そう言われると耳が痛いけど、耳が痛いのも言葉のせいだから。 耳に痛くないのは歌くらいだから、歌みたいな話をできればと思うね。 しかし、歌えないのは全く僕のせいじゃないんだ。 あの、誰かが教えてくれると信じているお喋りたちのせいなんだ。 僕だってこんな泣き言や言い訳はしたくない。できるなら黙って済ませたいけど、あの「読める言葉にしないと伝わらない」と言っている、何かあれば伝えられるべき人物だと奢っている奴らについてずっと我慢を強いられているんだ。
僕が大声で刻み付けたいのはこういうことさ。
「おまえたちなんぞに伝えなくちゃいけない重要ごとなんてない!」ってね。
重要であればあるほど、お喋りたちなんかに伝えてなるものかよ。話のタネにしか興味のないお喋りたちには話のタネがお似合いだよ。

「我慢してきた」と言ったら、それがはっきりとでっちあげられて、怒りが湧いてきた。 そうさ、我慢してきたんだ。我慢なんかちっともしていなかったし、していたとしても忘れていたけど、思い出してムカムカしてきたよ。

ああ、そんな風にずっと我慢してたわけじゃないのに「ずっと我慢してた」なんて別れ際の恋人みたいなセリフも言いたくなる。僕は言語のことを信用していないし嫌いだけど、ずっとこいつと付き合っていくしかない。せいぜい僕好みのパートナーにして、振り回されながら付き合っていくしかない。言語とはそういう関係だ。