やまもり

山森(故障派)と森山(特になし)の文集

ポーの「盗まれた手紙」

私が知らないことを誰かが知っていると私は知っている。
きっと、私が知らないことを知っている誰かがいる。

私を含めた誰もが知らないことは、安心だ? なぜ? 

私を含めた誰も知らないことが、とても大切で重要で「絶対に知らなくてはいけないこと」の可能性だってあるのに。なぜ私は「誰も知らないなら安心だ」なんて書いたのだろう。

 

パリ警察はなぜ盗まれた手紙を探し当てられなかったのだろう。おそらく、彼らは職人的な技術者集団で、己の仕事について忠実な犬だった。王妃宛ての手紙の姿と厚みを探して、絨毯など裏のあるものは全て剥がして、本やその表紙など厚みのあるものは全てめくって、めくれないものは針を刺して彼らは探したのに。

そうしても盗まれた王妃宛ての手紙は見つからなかった。


探すことをくまなく行ったが、探すことは探さなかった。彼らパリ警察の流儀通りに、彼らの従うべきルール通りに、技術者堅気で探したが、流儀の外、ルールの外には出なかった。デュパンは外の人間らしく、手紙を盗んだD大臣もアウトサイダーだが、パリ警察の外側について思考していた。

王妃へ宛てられた秘密の手紙を保持しているDは、秘密を握っていることを秘密にはしない。良い(何が良いんだ?)盗賊は相手に盗まれたことさえ気づかせない。つまり、事件は起きないわけだけど(これはわたしたちの日常だ)、Dは悪党なので事件を起こす。秘密を握っているぞと秘密にしないことで。手紙を盗まれた王妃と盗んだDの間だけで行われる会話、記号のやりとりは秘密を知っている者同士で秘匿される。王にばれてはいけないので、コソコソと秘匿される王妃とDのやりとり。王妃とDは共犯の盗賊で、その盗み(やりとり)を王に気づかれていない「良い盗賊たち」と言える。盗賊の親分は王妃で、Dはその手伝いをしている。王から秘密を隠すという手伝い。その意味で、パリ警察が三か月探し続けても見つけられないという事実は良い盗賊たちにとってありがたい状況だ。優秀なパリ警察にも見つけられないということは、王にだって見つけられないだろう。王妃とDの共犯が続くには秘密が露見してはいけない。

 

盗まれた手紙は、結局は、姿を変えてDの家に置いてあるだけ。おそらくは外の人間に頼んだのだろう。「この手紙を私宛てに出しておいてくれ」とか言って。

 

外側ということもそうだけど、盗まれた手紙は「共犯関係の継続」を読んだ方がいい。書いていてそう思った。パリ警察は探すことの専門家で科学者たちで、悪く言えば専門バカなわけだ。しかし、人は全て人の専門家であり、同じ意味で専門バカ。わたしは「言語専門バカ」と書く。王は探したりしない。秘密が秘密だから。探すのは秘密を知っている王妃と彼女の依頼を受けたパリ警察だ。秘密にしておかねばならない淫らな手紙を受け取った王妃は罪を犯している。そして、その手紙を盗まれた王妃は「王に内緒で探し続ける」という罪の上塗りをし続けねばならなくなった。なぜか。誰かがそれを知っているから。

盗まれたことを知っている王妃は盗まれた手紙を探さなきゃいけない。探していると王に気づかれないように。見つかるまで、罪の上塗りを続ける
知らないということを知っている私は知らないことを探さなきゃいけない。探していると王に気づかれないように。見つかるまで、罪の上塗りを続ける。

人間は誰もが人間の専門家で、話すことの専門家で、専門バカなのだ。
言語には、たくさんのことが無い。無いことについて言語で話すのは難しいが、ただ一つだけ確実に無い(盗まれている)のは「話さない私」。言語には「話すことのない私」が欠けている。話す私しか言語の中にはいない。

 

レター(つまり言葉)は私宛てに届けられるはずだった秘密の手紙ではなくて、外装を変え宛名を変わることで他の誰にでも届いてしまうシステムだ。パリ警察は手紙のことを思っていた。大臣Dは手紙と、手紙のシステム(宛名を書いて届けられる)のことを思っていた。どちらも「手紙」を思っていた。パリ警察のG総監は「Dは詩人でもあり、詩人であるから馬鹿である」と言っていたが、それは正しい。警察は科学者らしく物理的な手紙のことを思っていて、Dは詩人らしくシステムとしての手紙のことを思っていた。彼らの間で話が通じるわけがない。ある一つの呼び名について、彼らは別々のことを思っているのだから。話の通じない奴を馬鹿と呼ぶのだから、G総監は全く正しいし正しく知的だ。そして知的であることほど愚かなことはない。

 

「手紙を探せ」と言われて物理的な手紙ではなくてシステムとしての手紙を探る人がいるだろうか。「王妃行の宛名を変えて、D宛てにもう一度手紙を出し直せばいい」。
手紙だよ。手紙を探せと言っているんだ。言葉が通じないのか。言葉が読めないのか。

今でも同じことが起こっている。

ポーはシステムとしてのレター(言語)を思っているが、未だに「言語」に違うことを思っている人々。隅から隅までくまなく情報を探しているパリ警察の犬たち。馬鹿だなあ。そんなところに「話さない私」はいないのに。

言語は良い盗賊なんだ。

 詩人ではない人たちが持っていない別の論理を持っているだけ。科学と言い換えたっていい。詩人は感性なんて持ってはいない。別の科学を持っている。
悲しいのか喜ばしいのかわからないけど、そこには通じない言語がある。だって言語について警察とは別の観念を持っているから。だから、物語は常に「通じないもの」「読めないもの」として現われる。それは、詩人の言語で、警察たちとは別の言語を走らせている。もちろん、警察たちというのは「手紙」のことをよく知っている知的な正しい愚か者たちのこと。