やまもり

山森(故障派)と森山(特になし)の文集

幻肢が奪われている

欠けた四肢の痕として幻肢があるけれど、腕も脚も欠けていないときに幻肢だけ奪われることもあると思う。身体はあるが、その幻肢がない。痒くないし動かない。幻肢が欠けているからだ。肉体ではなくて幻肢が奪われること。
どうして肉体は動かなくなるのか。
傾きを忘れてしまうから。自転車に乗るときのバランスは身体が覚えている。それはいくつもの組み合わされた傾きであり、情報ではない。机上の乗車論を読んだからって覚えたって自転車には乗れない。データの代わりに幻肢が傾きの乗車論を読んで覚えているからわたしは自転車に乗れる。明日も自転車に乗れる。自転車の乗り方を幻肢が読んで忘れなければ。幻肢を奪うには、机上の乗車論で頭をいっぱいにしてやればいい。サドルにどうやって尻を置くのか。右の足裏とペダルの踏み位置について。ハンドルを握る手と肩の動かし方について。そんな情報で頭をいっぱいにしてやればいい。ひざの正しい角速度と不正解の角速度で頭をいっぱいにしてやればいい。そうすれば肉体が頭に負けて自転車に乗れなくなる。幻肢は情報によって奪われるのだ。わたしは机上の思想なんかより動く身体の方がいい。