やまもり

山森(故障派)と森山(特になし)の文集

難しい横文字よ、てめーはだめだ

よく躾けられた者は躾ける権利を有する。かつての王さまや神さまはよく躾けられていないと思えるが、躾ける権利を持っていた。不思議だ。なにがどうなって変わったのだろう。わたしにもよく分からないことがあって安心したし、楽しい。躾を逃れている他者が羨ましいんだ。そう言っても、嫉妬がなぜ成り立つのかもわからない。

難しい言葉には難しさが存在していて、その難しさゆえに難しい知があるに違いないと思ってしまう。でも、その難しい知は、わたしたちが簡単に行為していること。軽々と行為される難しい名前。なので物語には行為が描かれる。その行為は差延であったり倒錯であったり、転移や間テクスト性オタサーの姫であったりするのだけど、それは易々と行為される。文学を行為するのは普通の身体をした文学を知らない人々なので、別にどうってことはない。わたしは難しい言葉を使って誰かを煙にまこうとはしないと思う。ただ、難しい言葉は長々とした行為を短く名づけることでより早く遠くを考えるのを助けてくれる。言葉は光よりも速い。または、その行為の再現性について考えることができる。だが難しい横文字よ、てめーは駄目だ。

なんで嫉妬と名付けられた特殊能力が備わっているのかは、物語を省略すれば、「期待外れ」があったのだろうと思う。期待は外れるか、それが大き過ぎるかしないと期待として現れないと思う。

ちなみにわたしが、読みにくい文章や読めない文章しか読みたいと思わないのは倒錯ではなくて。赤子のころを思い出せばいい。最初にそれは読めないものとしてわたしの前に現れた。そのあとすぐに読めるものとして自分を表すよう強要されるのだけどね。