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やまもり

山森(故障派)と森山(特になし)の文集

一人は決して寂しくないが、仲間外れは適応障害

忘れられないのが、「1+1は2だ」と強弁していた人のこと。具体的なことは忘れてしまったか、最初から具体的な事柄をわたしが見ていなかったかで書けないが。とにかくその人は、たとえば「ゴミを拾うのは1+1が2になるように当然のことだ」のような比喩で誰かを説得しようとていた。馬鹿だなと思った。

以前に1+1が分からなくて強迫神経症になってしまった方の体験談を読んだ。その方は小学校にあがったとき1+1が2になるのがわからなかったそうだ。1とはなんなのか。足すとはどんな行為なのか。普通の人はそうやって考えることなしに他人にならって解いてしまう。数学という異言語の規範に従うのを知ることだと錯覚してしまう。考える必要なしに解く。1+1が2なのは考える必要のないことで、考えずに解かれる式は儀を付けた方がまし。定められた儀式だと思えばいい。儀式には祈りがつきもので、1+1の祈りは「考えませんように」と祈っている。1とは何かなんて考えませんように。足すとは何かなんて考えませんように。どうか、大勢の他の人たちが考えずに済ませますように。そうしないと授業が先に進まない。隣人が「1とは何か」を考えていたら困るんだ。義務教育で記号論や言語論を修めないのは、記号や言語は学ばなくても使用できる前提があるからなんだけど、その修めない結果をわたしたちは見させられてる。ご覧の通りのありさまだ。