やまもり

山森(故障派)と森山(特になし)の文集

100

 

01
100記事目です。

02
やったねー。

03
100個の恥ともいう。

04
おかげさまで。

05
いくつかの式をわたしなりに書いてみた。

06
100のうち70はノリでできています。30がヒステリー。

07
やあ。

08
すっかり夏です。

09
ニャンニャンワールドはいいなあ。まず名前がいいよ。ワールド!

0A
HIYASITYUUKA食べた!

0B
「AzureインテグレーションがRedis Cacheに対応しました」って読めます?
異国語みたいじゃない?

0C
わたしの文章も異国語だったら嬉しい。

0D
「SPEAK WHITE!」は、(分かるように)英語で話せよ!(このケベック人が)っていう意味。

0E
やーだね。息苦しいんだもの。

0F
わたしはわたしの言語で書きたい。

10
それで伝わるか伝わらないかは知らーん。
どう読まれたって。

11
「いいね!」に負けないで。

12
始めたころはさぐりさぐりだった。

13
文系じゃないので、文章とかチンプンカンプンです。
高校生のころに理系クラスを選択して
「じゃあ文系は独学だ。わーい」
「てきとうに読み散らかしてやろう」って思った。

14
せっかく生まれたのだから、叡智の最先端に触れてみたい。
宇宙を扱う学問とかも大好き。
哲学とかも大好き。
文学はあんまりわかんない。

15
海にも適応できず
渚からも追われて
山や森からも逃げてきて
街にも居場所がなかったら


16
砂漠に向かうか
空に逃げるか
宇宙へ脱出するとか
暗黒大陸に行くとか


17
それしかないじゃん。

18
街は社会で、砂漠とかは
その外という意味

19
外に出るのは
倫理とか道徳とかそういうのからも出る

1A
「悪」は勘違されがちだけど
外に出てない。
それは社会の中での呼び名。
悪/善の線の中。

1B
外で見つけた宝物を持ち帰るストーリー。

1C
哲学は物語分析みたいなものだから。

1D
異国語を覚えて帰ってくるみたいな。

1E
わたしのにも少しは異国語が書けてるといいけど。

1F
そのエッセンスくらいは
書けてないかなー。

20
まだかねえ。

21
書きすぎてる可能性も。

22
どっちでも。
どうせ自分じゃ分からん。

23
普通だし。

24
断絶について。

25
立ち止まってる人と歩いてる人は
どんどん差がついちゃう。

26
歩いてる人はリレーやってる。

27
継承して歩いてる人たちは
どんどん先に行っちゃう。

28
でも、立ち止まって居場所を守るのも大変。

29
その代わり、出ていった人たちが
帰ってきて、お土産をくれる。

2A
旅行記読ませてくれたり

2B
ね。

2C
頭で読んで旅行した気分になっちゃうと
どうしても
「たいしたことない旅だったんでしょ?」
ってなっちゃう。

2D
やあね。

2E
そんなわけない。
砂漠はカラカラだよ。

2F
砂漠へ向かう脚の幻肢痛
空へ向かう翼の幻肢痛
宇宙へ飛び出す幻肢痛

30
既存の言語で満足してたら

31
言肢痛もない。

32
うまいこと言った。

33
身体にいろんな文体や話体を流せるように

34
スポンジみたいにしておきたい。

35
文章は自転車みたいなもの。
自転車の乗り方を話すみたいなものだと思う。

36
キュッと握って、ガシガシ漕ぐんだよ
そんでびゅーん。
止まるときはピタ。
曲がるときはクイッ。

37
そんな感じ。
みんなそれを身体的なものだと言う。
頭より身体の方がよく知っている。
涙とかね。

38
それは感覚だけど
たくさんの方程式でもあり

39
なので全てを明かしても
わけわからんとなる。
「何か隠してるんじゃないの」
となったりする。

3A
流したり浸したりすればいい。

3B
知識も少しは役に立つけど
タイヤの素材やメーカーを知ってるようななもので
走らせるのにはあんまり役立たない。

3C
歩き方って誰かに教えてもらった
わけじゃない。

3D
読み方にもそういう身体性がある。

3E
身体で読んできたかどうか。

3F
音楽やスポーツみたいなもの
読書にも運動神経が要る。

40
誰かを楽しませるために

41
書かれるわけじゃなくて
息苦しいから書かれたりもする。

42
言語が足りないから話せない。

43
言肢痛
言葉がないのに痛むということ。

44
痛くない人もいる。

45
言語が故障してないって
思ってる人は痛くない。

46
わたしは痛い。
言語がないのに

47
なければ歩けない

48
それで痛む

49
そういうこと

4A
それがわたしの普通

4B
頭では
無い四肢が痛むわけない
ってわかっているのだけど

4C
身体の方がいうことをきかない。

4D
びょーき

4E
暇と呼ばれる病気の一つの症状

4F
指が暇なのさ

50
追われてたら逃げるのに必死で
痛みなんて忘れちゃう

51
暇を我慢するよりは

52
暇から逃げるか、暇を追うか
暇を謳歌

53
我慢はろくなことにならない

54
「私は暇を我慢してるのに!」

55
少なくとも自分のまなざしにしがみついてたら

56
世界は狭い

57
誰かのまなざしを借りても
まだ狭い

58
その誰かだって

59
たいていは
まなざしにしがみついてるのだから

5A
言語にしがみついてたり

5B
するから

5C
虫のまなざしを借りたりしたい

5D
よね。

5E
たくさん虫がいる
その眼を借りたい!

5F
ハードルをどんどん下げて

60
虫の眼で見てみたい

61
虫の言語を借りたい

62
そうしたら
「AzureインテグレーションがRedis Cacheに対応しました」
みたいな

63
異国語で書かれるしかないじゃん。

64
100記事目でした。

 

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マリーを部屋から出すな、ファントムペインは共感できない

 

ファントムペインは共感できない。

 


背中にない翼が痛いと誰かが訴える。

医者は「あなたの背中には翼なんてありません」と応える。

 

「あなたの妄想です」
「鏡を御覧なさい。鏡は真実を写します」
「ほら、翼なんてどこにも映っていないでしょう」

 

でも、飛ぼうとしたときに幻の翼が痛む。

お医者さん、あなたって飛ぼうとしたことないでしょう?
だから痛まないんですよ。
痛いんです。

 

「しかしね、鏡をご覧になったでしょう」

「あなたの眼に翼が見えましたか」

 

見えません。
でも先生、眼が痛みを見つけられますか?
痛みは脳にあるのではないですか?
脳が見られる鏡をください。
そこに痛みがあるはずです。

 

「残念ですが、あなたとは話ができません」

どうしてですか?

鏡の真実を受け入れられないのであれば、他の患者さんは納得してくれます。そうして少しずつ幻肢痛は癒されていきます。あなたが妄想にしがみついていては治療は進まない。鏡をご覧なさい。幻肢痛の原因です。ほら、鏡には映っていないでしょう。その痛みはないんです。

 

---

治療法は二つあって、一つは鏡を見ること。もう一つは飛ぶこと。それで、飛ばせてくれる医者は魔法使いの類型として知られてる。二種類の医者と、二種類の患者がいて、その組み合わせ式で幻肢痛の話は解かれていったりする。

 

 

ログ殺しの少女(Tales of Destinies)

 

「ちょっと待ってください」

煙と共に低い声が立ちのぼった。

 

ログを殺し続けているのは彼ら自身だった。更新すればするほどにログは深く埋められ誰にも読まれず顧みられず殺されたのです。つまり、ログ殺しの犯人はブログそのものだった。しかし、それで万事解決とはいきませんね。

探偵はソファから身を起こすと手を広げて「このシステムが」と響かせた。私は「これ以上なにか」と遮ったが、探偵の調子に飲み込まれてしまった。

十四人がいた。十人は死体となった。意図的殺ログ犯たち、過失で殺めてしまった者、殺すつもりはなかったが結果的に殺ログに加担したグループ。十人の犯行と死因は様々でした。そうしてここに四人が残っているわけですが、犯人を暴いたからといって事件が終わったと思ってはいけません。

 

「どうしてですか。十人の死因は明らかで、私たち四人が殺していないのも明白になったじゃないですか」

ですから

探偵は吐いた紫煙を虚空に預けた。

それは十人についての物語。我々残された四人に別の話が用意されてあるとしても、不思議はないと言っているのです。たとえば、藤さん。あなたはこれからどうするおつもりですか?

「どうって……、警察に連絡がつかないのですから、部屋に戻って鍵を閉めて。何かあったらノックしてください。それまでは部屋から出ないつもりです」

圭子さんは相変わらず客席から私たちを見てるみたい。

 

「あの碑文!」

私たちから少し離れたスツールに腰掛けていたすず香が、長い手足をぶらんぶらんさせてこちらに近寄ってきた。

「歴史の本文でしたっけ」「読めた人、この中にいるんじゃないですか?」「ワンピース、ひとつなぎの財宝?この島のどこかにあるんでしょう!」

 

十人は、碑文に殺されたようにも見える。
あの思わせぶりな宝探しごっこと距離を置いていたおかげで私たちは生き延びているんだ。毎日毎日新しいエントリーをアップして重ねられた生存報告の下にログは埋められ殺されていった。人繋ぎの財宝。そうやってログを殺し続けているうちに人と人が繋がっているような気分になって、そうして……もう二度と記事をアップできなくなった躯が十も重なった。


「すず香ちゃん。あれは結局、人を繋ぐという意味で、財宝なんてなかったんだよ」

 

そうじゃない。


すず香は長い手足をゴムみたいにくねらせた。

「ゆいちゃんは本当に財宝を見つけたのかも。それで、殺されて……」

「ヒメカ姉も、あるって言われて、探してて、崖から突き落とされたんだよ!」

腰を九十度に曲げて誰かにお辞儀するように項垂れたすず香を、圭子さんが慰めた。

 


孤島の洋館に残された四人にまだ事件が続くのだとしたら、それはどのようなものか。生き延びた誰かが財宝のありかを知っていて、それを隠しているのか。中元すず香の言った通り「人繋ぎ」は碑文の読み方の一つでしかない。別の読み方があり、本物の財宝のありかが示されているのなら、それに気づいた者が残された四人の中にいるとすれば。……しかし、だとしても、殺す理由には届かない。生き残った一人が財宝を得ても嵐が去り警察がやってくれば全ては白日の下に晒されるだろう。

孤島がその来訪を待てるなら。

 

 

「すず香ちゃん。圭子さん、それに探偵さんも」

「財宝なんて、ない、です」

私は大きな声でしゃべった。

あると思っていたみんな、みんな死んでしまったんです。あるのかないのか分からないもののために、もう十人も死んでしまっている。探偵さんも事件を解決しようとして頑張ってくれましたが、助けられなかった。私たちだって同じ。


だから、せめてこの四人は、これから心を一つにしなきゃいけないと思う。

 

「もあ……」

 

すず香ちゃん。ダメだよ。
「ある」なんて思っちゃだめ。
あるって思ったみんなが、殺したり、殺されたり、したんだから。


みんなが、誰かが独り占めしてるんじゃないか、ありかを突き止めたんじゃないかって、お互いを疑ってこうなっちゃったんだよ。心を一つにできなかったから、みんな死んじゃったんだよ。


毎日、まだ見つかってません、なにもありませんって報告するみたいにみんな更新し続けていた。私も他の人の文章を読んで「この人もまだ見つけていない」「私と同じでまだ見つけてない」って不在通知みたいに届く新着記事を眺めて安心してた。

 

ひとつなぎの財宝があるなんて

誰かが書き残さなければ、よかった。

ゆいだって死なずに済んだ。

 

「すず香ちゃん、圭子さん、探偵さん」

「十人を殺したのは、私たちなんだよ」

「財宝なんかないって、みんなを説得できなかった私たちのせいなんだよ」

 

うん、うん、そうだね……

 

すず香は潤んだ眼で私を見つめている。
私はすず香を抱き寄せて、耳元に囁いた。

 

 

「だから、一緒に死のう」

 

 

「くっ」

 

探偵がパイプを落として躍りかかってきたが、私はすず香を盾にして防いでから彼女の背にもうひと突き。水平に突き刺したナイフの柄を前蹴りして反動を使って宙に身を回す。アンティークなテーブルの上に飛び乗るとヒールがカッカと火のように鳴った。

 

「私たちはログ殺しの共犯者」


「十人を殺した罪が、あなたたちを生かさない」
「殺人を止められなかった探偵さん、無能があなたの罪」

十人も殺されてから犯人を暴いたって、意味がないんだよ。

 

「ゆいの苦しみに気づかなかったすず香ちゃん」
「盲目があなたの罪」

 

「そして、圭子さん」
「いつも怯えて、閉じこもって、保身だけ考えて」
「あなたの自己愛、醜くて見てられないの」

殺された者の苦しみがあなたに想像できる?自分のことしか考えられないのだったら、あなたも殺されてみるといい。


「そして」

 

黒い外套をひるがえして宣明した。

 

「私の名は最愛(もあ)」
「殺されたログたちを愛してしまったのが私の罪ならば」

 

私は一人になったベビーメタル。

僕らは一人じゃない。ナウ、アンド、フォーエバー。

待っててゆい。
みんな殺してから、寄り添ってあげる。

 

youtu.be

 

 

 

笠地蔵(煙草一本分)

 

コンビニの監視カメラには小さな屋根がついていて、そこに雪が積もっている。軒下に設置してある灰皿を借りて私は煙草をすっていた。横を向くとカメラがこっちを向いていて、あれは防犯用で、二十四時間見張っているやつ。

笠地蔵を思い出した。

地蔵に積もった雪を払って笠をかぶせてやる親切な翁の話だ。その礼に財宝を贈られる。私のワンボックスには仕事で使う脚立が乗っているから、それを使えばあの監視カメラの雪を払ってやれそうだと思った。


夜にはカメラが恩返しにやってきた。
カメラがノーモア映画泥棒みたいに歩けるようになって、私のアパートまで歩いてきて、「雪を払ってくれてありがとう」「いや、寒そうだと思ってさ。お互い仕事ご苦労さま」。その間も私は撮られ続けていて、演技を強いられてるみたいにぎこちなく応えた。


贈られたのはハードディスク。
それと、業者がぞろぞろと彼の後ろから現われて通信線を敷設してくれた。居間のテレビとハードディスクをケーブルで繋ぐとあのコンビニの軒下が映った。輝度補正が効いているのか夜だというのに鮮明だった。

その日から私はテレビを二画面にして、片方でテレビ番組やビデオを、もう片方でコンビニの監視映像を眺めている。

再び冬がきた。

それまで監視映像が写していたのは、当然だがコンビニに出入りする客や関係者や、たむろする若者や動物で、面白くはなかったがつまらなくもなかった。だが冬になればと私は期待していた。案の定、ある雪の日の夜に男の顔が大写しされて、雪を払っているようだ。深夜になり映像が俯瞰から地に落ちると「さあここからが見ものだぞ」と私はつぶやいた。

 

画面はぐんぐんと雪道を過ぎていきどこかの家の前までやってくる。ドアが開いて寝間着の男が映った。幾人かの業者が招き入れられてハードディスクが設置された。時折映る男の顔はあのときの私みたいなのだろうと思った。

変な笠地蔵になった。
地蔵だってカメラだって同じように無事を見守っているのだろうに。そういえば、地蔵さんらはどこから財宝を持ってきたんだ?

私の前にも、その前にも同じことが起こったのだ。去年の今頃、私の顔を画面越しに見てにやついていた奴もいたんだ。おあいこだ。面白くもつまらなくもない監視映像を眺めていたかいがあった。次の冬にも、おあいこをやれると思うと待ち遠しかった。

「なあ、新入り」

私は画面の向こうに問いかけた。

そうだ、この次は酒を用意しておこう。きっと今もこれを肴に飲んでいる奴があるに違いない。いいアイディアは誰かが独り占めしているアイディアだ。この新人りもそれに気づいて、再来年には飲むだろう。

 

 

スカベンジャーは生存報告しなきゃいけないほどに死んではいない

 

96記事目です。

ブログが、生存報告みたいなシステムだからって、わたしゃそんなに死んでいないよ。ちょっと悔しいんだよね「わたし生きてまーす」って書かされるの。新しい記事を書き続けてないと死んだように扱われるの悔しい。さすがはSNS。社会網の奴隷は侮れない。ブログを書くのを続けるって、ログ殺しに加担してるようなものだから、たまにぶっ生き返したくなる。すごい文章は十年前のそれだろうが千年前だろうがすごいんだから。なので、とても生きているのに死んでるように埋められてるログによくわからない注射をしますから。

しかも他人の家の死体にね。

 


 

masa1751.hatenablog.com


ただの記録でしかない、 さんの「いしゆり町」


何度目だろう。昨日また読み返したのだけど何回読んでもすごい。きっと忘れたころにまた読み返したくなるからブックマークを挟んでおいた。読み始めるとわたしの顔はにやける。だって面白いんだもの。ずっとAメロなんだよ。虫の音みたいにずっと。わたしはこの文章を人が描いたって知ってるから、転調やサビを期待したくなる。盛りあがってきたりしないかなって。ヤマやオチがある流れのことを「中身」ってみんな呼んでいるんだから。できるだけ短かい文章の中に情報をギチギチ詰めようとみんな苦心してるのに、中身のある文章を書こうとしてるのに、いしゆり町はずっとAメロなの。それが気持ち良くって読んでてにやけちゃう。


きわめつけはここ。

 

山形はヤマガタと言うだけあって、単に山が多いからその県名になったのかどうかは不明だが、県公式HPの一説によると、由来は以下のようなことらしい。

山形県 山形市 石田ゆり子町 - ただの記録でしかない、

 

「ねえ、なんで山形の由来を書くの?」

「それを読者が読みたいと思う?」

「読者が欲してる情報だと思ってる?」

いや、別に、そうだから書いたんだ。

「そうってなによ」

山形の由来が、そうだから。

山のこと書くから。

 

わたしは筆者に読者に迎合しないで書いて欲しいと思う。筆者の書きたいことを書きたいように描いて欲しいと思ってる。なので文章に「読者なんて知るかよ」って意思があるかどうかを探し読んでしまったりするのだけど、いしゆり町には意思が読めなくて、ただ行為がある。「読者なんか知らない」って意思のない、読者を知らない行為。意思なき行為。企図しない残酷な無視。読者を無視しようと思って無視してるのじゃなくて、本当の本当に自分勝手な自分勝手。「読者なんて知らない」じゃなくて読者がいらない。そりゃあ、虫は人のために鳴いてるんじゃないもんなって思う。くやしくなってきた。


わたしはまだ読者を思って書いていて、たまに読者なんかいらないっていう文章を書けたりもするけど、いしゆり町みたいに残酷には描けない。読まれるために書かれたのではない文章は、読者を必要としない文章は、文章だけで必要十分で欠けてるものなんてなにもない。いしゆり町は、残酷にもわたしという読者を必要としていない。何も欠けていないから。


そういう残酷さをわたしだって書きたい!くやしい!忘れたころにまたいしゆり注射をわたしに打って、にやけたりくやしくなったりしたい。

 

 


 

 

lookwho.hatenablog.com

 

べびーめたる趣味藤圭子趣味さんの「パリの空気」
昨日の夜にスカベンジャーしてて出会った文章。

いしゆり町は残酷な虫の音、ようするに人でなし(褒めてる)だったけど、パリの空気はお弁当。ちゃんと誰かに宛てて創られてて、栄養たっぷりで眼にも楽しくて美味しくて、食べるだけじゃなくて、その包みを開けるときのワクワクまで含まれている、出会いのあるお弁当。読んでると随伴旅行みたいな気持ちになる。書く人や読む人の健康を考えればお弁当や薬を持っていこうって思うよね。

 

相手を自分の上にも下にも置かないから、"善意" や "親切心" なんかとは違う本当の人間味が伝わってくる。おかげで、わたしだって生きててもかまわないんだって思えた。「おもてなし」なんていう、職業差別の裏返しの独善的なことを言ってられるのは、そもそも人間性に対する健康な認識が欠落しているからだ。

パリの空気/対等ということ - 藤圭子趣味

 

ヘトヘトの奴隷になってるお客さんへ心のこもったおもてなしをサービスとして成り立たせる奴らは「あんたまたヘトヘトになるやろ、自分の足で立てなくなるやろ。そんならまた頼っておいでやす」またヘトヘトになるのを前提にして、ヘトヘトがこれからも続いていくと信じて、ヘトヘトから誰も逃げられないようにして、ヘトヘトになるのを待ってる。ヘトヘトやくざなんだよ!

「おもてなしですって?いいです弁当ありますから」

NOといってやるのだ。お弁当を持参して断ってやるのだ。おまえが上だとか自分が下だとか思ってるやくざたちにNOといってやる。

「ヘトヘトなんやろ?」

「おもてなしされたいやろ?」

「おもてなしさせておくれやす」

 

だが断る
君たちみたいな関係やくざがわたしたちは大っ嫌いだ。その優しさや配慮の仮面で人がヘトヘトになるのを蟻地獄みたいに待っている君たちが大嫌いだ。ヘトヘトになるのはいやだ。

 


ここまで書いてて気づいたけど、いしゆり町もパリの空気も街の文章だね。

 

人間たちの巣は、巣とは街のことだけど、巣は、言語も巣と呼んでいいけど、巣は、わたしたちが生まれる前から継承されていて、死んだあとも残る。人の巣からでて砂漠へ向かうなんてのは、これまでもしばしば語られてきた祈りだけど、いくら祈っても巣穴の夢のような居心地の良さからは出ていけない。砂漠にいっちゃったら社会的に死ぬからね。


文学は人の行為のことで、砂漠へ向かう行為も含まれているし、砂漠から巣を見ないと、巣の居心地の良さやその代わりに支払ってるモノは見えないよ。パリの空気は巣から出ていく物語。それは出ていこうとする気質なんだっけ?ええと、ここは、うーんとねえ。

思い出した、出ていく脚の物語だ。出ていくことのできる動く脚、立つ脚の物語。それは、立つ行為や動いて出ていく行為を、座学するわけじゃなくて、頭で気づいたときには立って歩いているということ。座学じゃ立てないから。だから、パリの空気は気質というよりも幻肢の、ファントムの物語だよね。あれ?ファントムと物語ってトートロジーかな。とにかくファントムペインってやつだよ。

 

パリは本当に楽な街だった。手足が思いっきり伸びる感じ。背筋がまっすぐ伸びる感じ。関節が柔らかく動く感じ。それは観光名所でも、地下鉄の中でも、オープンエアーの2階建てバスから街を見下ろしていても、カフェでただ通行人を眺めていても、気まぐれに商店をひやかしても、パン屋でパンを買っても、ビストロで一所懸命に料理の説明を聞いていても、人生を放棄したような人がうろついてるゴミだらけのピガール広場に立ってみても、まったくおんなじだった。

パリの空気/対等ということ - 藤圭子趣味

 

幻肢の痛みは共感できない。だって、四肢がもともとない人たちは、脚のない人たちは、歩こうなんて思わないのだから。立とうとしたときに脚がない場合にだけファントムペインはやってくる。パリの空気にはそのことが書いてあるよね。異国に行ったら痛みが消えて四肢が伸ばせたって。立てたって。

 

 


あースッキリした。

生きてるログを生き返すって健康的だと思う(生き返ってるのか?)。死にかけてたわたしも二つの注射のおかげでいい気分。なんて楽なんだろ。息をするっていい気持ち。あーくやしい。すごい文章を読むのってくやしい。この二つとかはわたしが書きたい文章なのに、既に書かれてるなんてずるいと思う。


ほんと、くやしいって気持ちいい。

 

 

もったいない精神 a.k.a. 合理性

 

「サピエンス全史」を読み始めた。

二日前にアマゾンから届いた。包装を剥がすと上下巻が現われて、帯には「常識を覆す!」「ビジネス書グランプリ一位」「NHKクローズアップ現在で特集された」なんて書いてあった。このクローズアップ現在ってクロースアップ現在じゃないの?クローズじゃ閉鎖しちゃうじゃんといつも思う。番組名(固有名詞)だからいいのか。カバーを剥がすと結構いい感じのA5サイズくらいで、黒いので少し小さく見えて、厚みもそんなになくてよかった。ベッドで読むから、大きくて重いと読みにくい。


でも、テレビ番組でとりあげるってことは、読める本なんだよね。そこをちょっと警戒しないといかん。頭の中の「読める」「分かる」「通じる」にわたしを留まらせる読める本はわたしの性格を化膿させる。「わたしも分かる」を慰めてくれる読める本は、理解ポルノで、理解にわたしを閉じ込める面を表題曲とすると、「理解できない奴はオタンコナス」がカップリング曲。

せっかく買ったんだからカップリング曲も聴こう。この貧乏性が合理性というもの。合理性は理に合わないものの排除までを射程に捉える。この本の感想を書こうかなと思うけど、わたしは予言する。理解を書けば書くほど、わたしは調子にのって、性格が悪くなる。

クローズじゃなくてクロースアップ現在じゃないと意味おかしいぞ! そんな風に間違いを分けるのが分かるだから。あ、現在じゃなくて現代だった。

 

眠る前の時間を使って一章まで読み進めた。
今のところは、予想通り、七十年くらい前に他の人たちが掘ってた知性の通過点が示されていた。ようするに「そんなのとっくの昔に他の人が指摘してるよ」「そして、もっと深くまで掘り下げられているのにさ」って感じ。ほら、わたしの膿がでてきた。

いつも通りに知識という名の区分け線が二重になぞられて深くなり、「わたしはそんなの既に知っている」と、他人が描いた概念を自分の手柄みたいにしていい気分になった。いい気分になるぞと予言していた通りだったので、ますますわたしの理解線はお城の堀みたいに誰も寄せ付けない防衛線になる。

頭がいいって欲深いよね。なにしろ、自らの無知さえ知ろうとするのだから。無知を知るってのは、知ってる/知らない で分けられた線の両側を知るってことじゃない?これが全知ってやつ?

そんな風に言語の故障を弄んでると情けなくなってくる。本は、良い本だよ今のところ。まだ途中だから分からないけど。

 

わたしは気をつけるよ。

かるとか知るとか伝わるとかで満たされちゃうと、その満足の欠乏をもったいない精神で埋めようとして知らない奴を探し出す。

「まだ知らないの?」

せっかくだから、知識を使ってもっといい気分になろうってこと。もったいないから。いい気分になるのに使えるんだから、使わなくちゃもったいない。

欲深さがせこい。貧乏性の頭の良さ。
もっとずっと欲深くあれわたしよ。

全知なんてせこいところで満足していないで。分かってほしい知ってほしい伝わってほしいなんて踊り場にいないで、そういう階段の途中で全知を慰める人たちなんて放っておいて、別のことも望みたい。もっと欲深くなりたい。もっと気高く飢えたい。

 

わたしも貧乏性だから、今のわたしが持っている知識を見せびらかして褒めてもらいたい。あるいは、わたしは知ってるぞって脅して誰かを屈服させたい。そういうのって簡単にできて、簡単なわりに得るものもありそうに見えるから、それに、なんといってもみんなやってることだから、やりたくなる。


コストパフォーマンス最高だもん。「これ知ってる?知らないでしょ。えへん」ってやる商売。ちなみにもっとコスパ最高なのは「わたしの気持ち分からないでしょう?」ってやるやつね。

「私がなんで怒ってるか分からないでしょ?」

女の子はみんな経済学者なんだ(計算高いってことさ)。


こういうの、せこい?それとも合理的?

 

呼び名なんてどっちだっていいか。
a.k.a. って also known as の略なんだってさ。
クローズじゃないよクロースアップだよ。知ってた?

 

タイトルが見張ってる

 

 

文章を書き始めて三か月くらい経った。
それでわかったのは、タイトルを決めてから書くのはよくなーい、ということ。タイトルから出れなくなっちゃうんだよ、まじめだから。タイトルを決めてから書くとどうしてもタイトルについての文章になっちゃう。それがもうつまんなくてつまんなくて。つまんないのもいいけど、たまににしたい。

 

今朝も自分の性格は昨日と変わっていなくてまじめなわたしのままだった。眠ってる間に性格が変わらないのはまじめ過ぎだからで、それは一つ前の文字が次の文字を決めてるようなもんだ。なんでわたしは変わらないわたしの性格を守ってるのだろう?

 

この性格を手放したい。わたしを失踪させたい。惜しいけど手放したい。文体を好きだけど手放したい。ずっと変わらない同じ話体を守っててもつまらないから。

 

性格の壁を壊して外にわたしを連れ出したい。わたしはわたしの閉じられた性格や文体から誰かが連れ出してくれるのを待つのではなくて、わたしを連れ出す誰かになりたい。なので、タイトルに決められるのはつまんない。たまにはいいのだけど。

 

わたしは文体を決定しないために書きたい。これ以上まじめに自分を閉じ込めるのはごめんだ。まだ生まれてから三か月。いろいろ書いてみてから、文体が決まるのならそれでいいけど、ねえ、そんなの決められないし決まらないって。もうちょっと自由でいないと決まるものも決まんない。決まんないんだったらそれでいいしね。

 

わたしの自由は、夕陽に「ばかやろー」と叫ぶことではなくて、普段は言えないホンネを書くことではなくて、ホンネとかタテマエとか、そんなまじめさにどうやってさよならを告げるかを考えること。わたしが夕陽へ叫ぶなら「まじめすぎるんだよバカヤロー!でも、まじめであってくれてありがとう!」。

 

怒ったり悲しんだり苦しんだりするのは、まじめでなければ絶対にありえない。それらはいつもまじめで真剣だから、そのまじめさをまじめに守っている人たちを見ると「もうそんなまじめさなんて捨てちゃえば」って思う。でも、捨てられない。自分の性格はそう簡単に捨てられないし、他人の性格も捨てさせない。閉じた視線が自らを逃がさないし他の誰かも逃がさない。まなざしのコギトだね。

わたしのまじめさは誰かを失踪させないし、わたしを失踪させない。

わたしの性格は失踪しないように見張られてる。だから明日もわたしの性格は変わらない。失踪しないでくれてありがとう。まじめでいてくれてありがとう。どこかに行ってしまわないまじめさは、それだけで賞賛に値するのだけど誰も褒めてくれない。

性格や文体を失踪させないのは重荷を背負う行為で、あまりその荷物は顧みられないが、好きな荷物だから仕方ない。だから、賞賛と尊敬をえるべきなのはまじめな私たち。社会の人であることは、領土を決めて文体を決めて、それらの線を超えず、まじめに一所懸命に守ること。

 

まじめへの賞賛が足りてない。わたしはそう思うが、まだまだまじめさが足りない、良心が足りない、配慮が足りない、そういうのがあるのもわかる。

どっちもどっちかな。

わたしはまじめな荷物を肩から降ろす方を選びたいと思うけど、全員に平等に背負わせる選択の正義も分かる。不真面目な奴らを罰したいってのも分かる。

 

「おまえも背負え」
「私とともに苦労しろ」
「苦労せずにいい気分になるなんて許さない」

 

いやあでもさあ。自分の性格を守って変わらないように逃走しないように見張ってるのは、それだけでもう、めちゃくちゃ大変なんだってば!

だから誰かが褒めない分もわたしはまじめさを褒めるぜ。明日の朝も自分の性格を守って失踪しないわたしたちのまじめさは、すごいんだ、偉いんだ、大仕事なんだ!

 

いつも見張られてるんだから、ちょっとくらい誰かを逃がさないように見張ってたって、当然だとも。

 

「ちょっと男子!まじめにやりなさいよ!」

「ちょっと私!まじめでいなさいよ!」

 

そんな風に自分や他人を読み張ってるのは、嫌だけど、そうなるよ。でも、まじめさをサボって逃げ出すのもアリ。タイトルを決めたあとタイトルと関係ないこと書いたって全然いい。じゃなきゃ予定調和でつまんない。

 

夫婦喧嘩、猫がいない

 

「ご飯は冷凍してあるから、おかずも何日分かは冷蔵庫にあるから」

 

それわたしの毒だから。バタンとドアを閉めて私は出ていく。さあ、実家に帰ろう。しばらくは顔もみたくない。物を投げつけて怒るなんてさ、あれがあいつの正体なんだよ。旦那さんを怒らせた悪者の私は退散。私がいない方が怒らなくて済むでしょ。それが私の思いやり。謝ったってなにしたって正体があれなんだからと思うと哀しい。いつも優しかった旦那さんが飛んできたモノで一瞬で嘘になった。

 

猫はいいね。全部がおまえの正体だもんな。母にしばらくいるからと伝えて、猫と遊ぶ。おまえ化け猫じゃないよね。あいつみたいに化けないよね。人の男って嫌だね。ひざに乗せて首筋を撫でてやると目を瞑って顔を揺らしてる。ふふふ。不幸をみんなしょい込んだみたいなあいつの顔。恐かった。うん、もうあんな恐い思いするのだったら、ずっと君を撫でていたい。

「恐かったんだよ」

猫は動かなかった。私はすぐに泣いた。

 

「お姉ちゃんだってなにかしたんでしょう」

「じゃなかったらXXXさんが怒るわけないよ」

母が隣に座ると猫は顔をあげてそちらへ移ってしまった。夫婦生活の大先輩よ、こういうときは優しく、いつまでだって居ていいって言うもんだぜ。わかってないなあ。XXXさんのことだって私より分かってるわけないじゃん。猫までとっちゃってさあ。猫までとっちゃって。私はいつの間にか泣く理由を探して、猫もとられたと追い打ちしていた。


「何か飲む?」

「いらない。放っておいて」

いまごろ、私がつくった毒をあいつは食べてるだろうか。きんぴらごぼうとか、ハンバーグとか、あいつの好物を、つくって、ラップして、冷蔵庫に入れてきたんだよ。モノを投げられて恐かったのに、つくったんだよ。それなのに猫もいない。

 

続夏風邪、仇討ちするゲーム盤

 

咳をするとズキンと頭が痛む。
鼻水が今頃になって粘度を上げてきてのどの奥にまとわりついている。のどの痛みがひいたあとにどういう了見でそれをやっているんだ鼻水め。病院でいただいた薬を飲みきった。わたしは部屋を夏風邪モードから通常モードに片づけて、溜まった家事にとりくんだ。そのあとでベッドでおとなしくしていた。漫画を読んだりスマホをいじくったりしながら、文章について考えたりもしてた。

ねえ、なにかこうドカンとすごいものが苦労せずに書けないものか。

たいしたことないと思われるのは嫌だな。

でも、たいしたことないはずないんだよねえ。だってわたしすごい文章ばかり読んできたんだもの。それでたいしたことが書けないのなら、それは何かがおかしい。読んでなかったことになっちゃう。
もしかして読まないで消費してた? いやいや。
そりゃあ少しは読むことを慰めにしてたけど? 慰めでしか読んでいないのならこんな風になるはずない。ああ、逆にもっと慰めておけばよかったのかな。

思い出せばいいのかな。

感情とその慰めを今は侮りすぎてるのかもしれない。

 

むかし、友だちと群れているときは彼女らを小馬鹿にしてたっけ。「くだらない」って「こんなのと一緒にされたくない」って。そんな風に一人を慰めていた過去のわたしが今のわたしを仇討してるのかな。やっぱり描くことよりも自分の裏書ばかり気にしてんだ。

 

そんな風に考えながら枕に顔をこすりつけたりして、眠りについた。

 

 

「あんた分かってんの?あんたが知らなくちゃいけないことを私は知っているんだよ。
私が教えなければあんたはずっと知らないまま。それでいいの?あんたが知らなくちゃいけないことなんだから。知らずには済まされない。あんた知らないでしょう? あんた以外はみんな知ってるんだ。だから、もっと怖がんなよ」

 

いいんだよ。そんなにわたしに優しくしなくても。いいの。あなたが知っていてくれれば。わたしに伝えてくれなくても。

 

「ふざけるな!知れよ! 本当はそんなちゃっちいんじゃないが、私もみんなもおまえを嫌ってる。知らなかったろう? それだけじゃないもっと知ってるんだ。あんたが知らなくちゃいけないことを。こっちは!」

 

教えてくれてありがとう。知らなかったよ。でもいいの。教えてくれなくても。あなたがわたしにしてるのは、昔にあなたが誰かにされて、それが「効いてる」こと。あなたはわたしにもそれが効くと知ってる。わたしをその薬が効く患者だと知ってる。あなたと同じ病気だと確かめたい。仲間に入れてから仲間外れにするって嫌なこと、誰かにされたんだよね。ごめんね。でも、怖くないのに怖がったらあなたもっと嫌だと思うの。

 

 

うーん、夢みてた。
知の仇討ち、仇討ちする知。


「もっと私を恐がれ」って迫るあいつもわたしだった。

知を人質にして身代金(恐れ)を要求できるのは、人質が身代金に値する大切なものじゃなきゃいけない。相手が人質の価値を知らないと交渉にならない。価値を知らぬ間抜けとは交渉できない。或いは、交渉ゲームを知りすぎるほど知っている場合に恐くなくなる。なので、交渉のゲーム盤上で白痴の駒とゲームマスターは同じ挙動をとりうる。

 

「知らないって恐いの?まずそこから教えてよ」
「なんであなたは知らないことが恐いことだって知ってるの?」
「そこから教えてよ」

 

白痴とゲームマスターはゲーム盤を囲む壁から締め出されてる。「話にならない」という形で締め出される。

 

ええと、だから、なんて考えたりして、また眠りがやってくる。わたしは夏風邪のゲーム盤から出たいよ。あとどのくらいしたら鼻水でなくなるかな。それ教えてもらっても、それまで鼻水ずるずるなのとガラガラ声なのは変わらん。

 

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スターウォーズよりもバイシクル

youtu.be

 

自転車とその乗り方が書かれた良書を百万冊読破しても自転車には乗れない。バーイセクーバーイセクーってクイーンも歌ってた。今までもこれからもずっとわたしたちは自転車について語っていくし読んでいく。小説や映画やドラマや漫画とかゲームとかの物語に出てくる自転車はテストだ。「君は自転車の乗り方をどうやって知ったの?」そういう問い。

自転車はマリーの部屋と同じテスト。

メアリーの部屋 - Wikipedia

 

わたしは自転車のサドルのことを何にも知らないけど自転車に乗れる。乗り方を知ってるから。小さいころに自転車を読んだから。転んだり戸惑ったり勇気をだしたりして何度も自転車を読んだ。読んだから乗り方が分かった。わたしの書く文章は自転車であってほしい。ソッチ側の文章になりたい。世の中には自転車みたいな文章とそうでない文章があって、前者は、頭では何も分からなくても読むと自転車に乗れるようになる。後者は頭に伝わる。すべての文章は、文章に限らず音楽でも像でもそうだけど、そういう自転車みたいな断絶線で分かれている。スターウォーズは現実模倣だけどバイシクルは……。なんだろう?どこにでも行けるということかな。

感性とかセンスとかで自転車に乗ってるんじゃなくて、わたしがそれを走らせているときにわたしはたくさんの数式を解き続けてる。カーブするときも坂道を登るときもカーブ式や登坂式を解き続けてる。自転車の乗り方は知らないけど知ってる。わたしは科学的に自転車を走らせていて、なんだかよく分からないセンスみたいのでやってるんじゃない。id:lookwho さんがブックマークでコメントくださった「何を言ってるかさっぱりわからない」というのは納得いかないが、自転車的には大正解で、わたしは前述した"ソッチ側"に行きたいのでとても嬉しかったです。

まあ、ようするに身体に刻まれた走らせ方の星座?みたいなもんで、それを読んだり書いたり解いたりわたしはしたい。わたしも べびーめたる趣味 さんを自転車だと思って読んでます。

 

電線

 


窓を開けて電線を見ていたら風で揺れていて良かった。あれがわたしの家のエアコンをつけて、わたしの家からあの電線を辿っていくとどこかの家と繋がって、そこの家族の御馳走をつくってると考えるとロマンがある。孤独ってなんだろうと思った。わたしは一人で過ごすときに孤独だと思わずに楽しくやっている。誰かと一緒にいてそいつと話さないときにわたしは孤独を感じているようだ。エネルギーが電線でくっついているのはどうだろう。家は電線で発電所まで繋がっている。あと、電話線もあった。

電柱の上の方には電源線が、その下には通信線が走っているのだっけ。まえにタモリ倶楽部でオーディオマニアがマイ電柱を建てるとかやっていた。あれはトランスを自前にしてノイズを低減しようとする企てだ。他の電気の需要家と共用のトランスを用いるとどんなノイズが侵入してくるか分からないから。オーディオマニアは徹底的に電気的孤独を選ぶということ。聞こえればそれでいい人たちとオーディオマニアは価値観が断絶してた。マニアじゃないわたしから見ると「はあ?なんでそこまでこだわるの?わけわかんない」となる。孤独なオタクたちは面白い。断絶線が面白い。

もうちょっと他の人の文章を読めるかなと思って探して、べびーめたる趣味 BABYMETAL-MINDED さんを見つけた。ベビーメタルは名前は知ってるけど曲を聴いたことないわたしだけど、なんか文章がいいなあおもしろいなあと思って読んでいます。あと、ニャンニャンワールド さん。すごくいいと思う。更新が楽しみ。

 

 

夏風邪のゾンビ

 

夏風邪をひいて寝ていたら数日が過ぎちゃった。

身体の弱ったわたしは床の中で読むもの見るものにだいたい言い訳を探していて、枕もとにティッシュやのど飴や、病院で診察をうけていただいた薬を置いたら、病人らしさに囲まれて満足した。
咳をゴホゴホしたまま職場に行っても周囲に迷惑がかかるし、なんといっても身体が一番大切だと言い聞かせないと、休むのはやっぱり、肩身が狭かった。または、風邪が治らないまま出社したらわたしは頑張っていて偉いと、少し体調が悪いくらいで会社を休まなくて偉いと廻りに思わせて自分を慰める妄想との間で、言い訳とその間で迷ったり探したりして床にふせてた。

たぶん、扁桃腺がいちごみたいに腫れてるのだけど、そのせいで頭は回らないわけではなく、のどは痛いけど難しい計算を間違えるわけでもなく、身体が弱っても1+1が3にならないので仕事しようとすればできないわけではない。だから、熱が出ても会社に来てしまう人たちがいて「38度の熱があったけど学校に行った」みたいなのが誇らしくなってしまう場面があって、こんな風に身体と記号は別々の世界にあるのだなと思う。

身体が風邪をひいたら1+1が3になってしまえばいいのに。

逆を言えば、言語に罹患してる人たちは全員ゾンビになる。

 

「俺とおまえは同じだ」
「同じゾンビだ」
「隠しているだけだ」
「見せてみろ」

「ほら、やっぱり俺とおまえは同じだった」

 

「38度だが俺は出社したぜ、君は?」のような思想の「私と同じであれ」という記号ゾンビたち。ようは、自分と他人が同じでないと気が済まない。38度の熱は、38だから自分の熱でも他人の熱でも変わらず同じ38。38のもたらす苦しみは人それぞれなのだけど、ゾンビにとっては同じ38だから「38度でも出社したぜ」とゾンビは言える。

漫画とかでゾンビやグールや吸血鬼が出てきたら、わたしは記号ゾンビの暗喩かどうかをまず読む。だいたい悪役ってわたしたちなのだ。過程をすっとばして結果だけを操るラスボスなんて成果主義の権化たる私たちだし、壁に囲まれた世界の外にいる人喰い巨人や鬼なんて私たちだし、魔女を名乗って物語通りに人を殺していく女も私たち。

同一視ゾンビの階級を考えてみる。
ゾンビ兵卒:同じだから私たちは同じ「38度だけど出勤したぜ」。
ゾンビ兵長:同じ中で偏差を利用し兵を束ねる「自分の頭で考えよう」。
ゾンビ大尉:自責するゾンビたち「あの悪は俺たちだ戒めねば」。
ゾンビ大佐:ゾンビの習性を利用する「まだ同じところで消耗するの?」。
ゾンビ将軍:ゾンビの行く末をあんじる「悟りが分からぬなら祈ろう」。


文章とか物語とかは、この「同じであること」へ対峙しているし眩暈がするほど長い時間と途方もない真剣さで対峙してきたので既にいくつもの答えを出している。同じであることを頼りながら文章は書かれる。同じ言語や式を解してなかったら読めないから。

でも、その読みをどうするか、同じであることの壁の外へどうやって読者を連れ出そうかという課題を同じくしてきたからこそ答えへ歩んでいける。世界と歴史はゾンビたちが思っているほどには単純じゃないけれど、単純さも一つの世界なので良い悪いじゃない。

「38度の熱だけど……」の人には単純に38の同じ世界があって、その外に世界がないと思い込みながら生きていくのにどのくらい干渉すりゃいいのさ。38度といっても平熱の違いや症状の違いもあって、なんて説明するよりも「そうだね。君はすごいね」と応えた方が38度の人たちは幸せだろうと思う。でも、わたしは休んで寝てたよ。寝ている間は寂しく言い訳と慰めを探してた。それらが見当たらなかったから、寝室を病室みたいにつくりあげた。

 

隠喩

言語自体が隠喩なのだけど、よく流通することで隠喩である事実が消えていく。流通することで消えていく隠喩の意味と、流通しても消えていかない隠喩の意味がありどちらかをわたしたちは選ばされている。といっても、流通しているので言語は隠喩ではないと思っている人がほとんどだから、その意味で通っているのだけど。伝われば隠喩ではないということ。まあ、よくわからない理屈だけど。

流通だから、言葉は

プールに浮かんでいるナマコみたいにあみで掬われるのを待っていたり、あるいは、流通しつづける、つまり、しゃべりつづけたりする。表現、または表明をヒマな時間つぶしに使うことで言語のように清潔になっていくと同時に、清潔のせいで不潔さが際立ってしまう。ヒマな時間を別のことに使うと沈黙が表現される。

小池都知事みたいにまだ流通してない横文字を使うと、行進のなかで先に行っているようにみえる。たぶん、文章の修飾比喩も同じようで少し先に行ってみえたりする。使い古されていない表現、表明。新しい表現。表現という隠喩を描写と区分けして書いてみている。

始まるときと終わるとき

 

恋愛は始まりが一番楽しい。
始める前から、始まりの地点を過ぎて軌道に乗るまでが楽しい。特に、初めて手を繋ぐとき。一人だった私が、二人になって、二人だった私と誰かが一人になるのが手を繋ぐときで、手を繋いだ後はエスカレーターみたいに登っていくだけ。他の人は知らないが私の場合はそうだから告白や繋いだ後のことよりも、手を繋ぐまでを大切にして欲しい。そこが雑な人とは合わない。いきなりスキンシップしてくるとかは無理。

それと、終わるのもいい。
別れ方が綺麗な男の人は、女の子もそうだと思うけど、なかなかいない。別れる時はたいてい納豆みたいに糸をひく。一人を散らせないようにくっつけていた粘着質のあれが私と誰かをくっつけていたのだからねばっとするのも当然だ。私もフラれた時は相手に爪痕を残してやろうかと思う。それでも、手を繋ぐときの興奮が裏返しになってやってくる終わりが好きだ。たまに、糸をひかずに終えてくれる人もいて、その時は「おおっ」となる。友人としてキープしておきたいなって思う。一度手を繋いだ人と友人に戻るって私には難易度が高いから、できちゃう人たちはすごいな大人だなと思う。大人というか遊牧民?「草を食べつくしたら他のところへいく」とか考えてそうだ。